日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤松連城」の意味・わかりやすい解説
赤松連城
あかまつれんじょう
(1841―1919)
明治時代の浄土真宗本願寺派僧侶(そうりょ)。幼名は宇三郎。榕隠(ようおん)と号した。加賀国(石川県)金沢在家の出身。1868年(明治1)山口県徳応寺の養子となる。1872年本山から派遣されてイギリスに留学。帰国後、宗門の教育改革を唱え、島地黙雷(しまじもくらい)らによる真宗大教院分離運動を支援した。1881年に教導職制廃止を建議。1898年大学林総理、1903年(明治36)宗門の学階の最高位勧学(かんがく)、1911年には執行長など宗門の要職を歴任した。大正8年7月20日没。著書に英文『真宗本義』『仏教史』などがある。孫に社会運動家の赤松克麿がいる。
[池田英俊 2017年5月19日]
『常光浩然著『近代仏教界の人間像』(1962・世界仏教協会)』▽『常光浩然著『赤松連城』(『明治の仏教者 上巻』1968・春秋社・所収)』