赤橋英時(読み)あかはしひでとき

改訂新版 世界大百科事典 「赤橋英時」の意味・わかりやすい解説

赤橋英時 (あかはしひでとき)
生没年:?-1333(元弘3)

鎌倉幕府最後の鎮西探題北条久時の子,執権守時の弟。1321年(元亨1)鎮西探題就任。しかし得宗専制体制下,鎮西探題も得宗権力機関的性格を強め在地との矛盾は深まっていった。33年3月後醍醐天皇の討幕運動に応じて菊池武時挙兵,英時はいったんこれを鎮圧したが情勢の急激な展開のなかで孤立し,九州の有力武士の攻撃をうけて自害した。二条派の歌をよくした。
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関連語 青山

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤橋英時」の解説

赤橋英時 あかはし-ひでとき

?-1333 鎌倉時代武将
赤橋久時の子。赤橋守時の弟。鎮西(ちんぜい)探題となり博多に赴任正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年肥後(熊本県)の菊池武時(たけとき)の反乱鎮定したが,大友貞宗(さだむね),少弐貞経(しょうに-さだつね)らに敗れ同年5月25日自害した。九州二条派の歌壇の中心で,歌は「臨永和歌集」などにある。通称は武蔵修理亮。

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