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赤橋英時 あかはし ひでとき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

赤橋英時 あかはし-ひでとき

?-1333 鎌倉時代の武将。
赤橋久時の子。赤橋守時の弟。鎮西(ちんぜい)探題となり博多に赴任。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年肥後(熊本県)の菊池武時(たけとき)の反乱を鎮定したが,大友貞宗(さだむね),少弐貞経(しょうに-さだつね)らに敗れ同年5月25日自害した。九州二条派の歌壇の中心で,歌は「臨永和歌集」などにある。通称は武蔵修理亮。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

赤橋英時

没年:正慶2/元弘3.5.25(1333.7.7)
生年:生年不詳
鎌倉幕府最後の鎮西探題。久時の子。兄に最後の執権守時,妹に足利尊氏の妻登子がある。修理亮。元享1(1321)年北条随時の後任として鎮西探題に就任。後醍醐天皇を中心とする倒幕勢力が各地で蜂起する状況をうけ,九州でも元弘3(1333)年5月,大友貞宗,少弐貞経らは博多にあった鎮西探題の館を攻撃し,25日に英時は自殺し,鎮西探題は滅亡。『臨永和歌集』『松花和歌集』『続現葉和歌集』などに英時の和歌が収録されている。<参考文献>川添昭二編『鎮西探題史料集』下

(瀬野精一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

あかはしひでとき【赤橋英時】

?‐1333(元弘3)
鎌倉幕府最後の鎮西探題。北条久時の子,執権守時の弟。1321年(元亨1)鎮西探題に就任。しかし得宗専制体制下,鎮西探題も得宗権力機関的性格を強め,在地との矛盾は深まっていった。33年3月後醍醐天皇の討幕運動に応じて菊池武時が挙兵,英時はいったんこれを鎮圧したが情勢の急激な展開のなかで孤立し,九州の有力武士の攻撃をうけて自害した。二条派の歌をよくした。【青山 幹哉】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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