赤江郷・赤江庄(読み)あかえごう・あかえのしよう

日本歴史地名大系 「赤江郷・赤江庄」の解説

赤江郷・赤江庄
あかえごう・あかえのしよう

飯梨いいなし川・吉田よしだ川河口部の現赤江町一帯に所在した国衙領。赤江保ともいい、のち庄園となり赤江庄とよばれた。宝治元年(一二四七)三月一一日の蔵人方恒例公事用途注進状(「葉黄記」同月一〇日条)に、「掃部寮便補保国司顛倒所々」の一つとして「出雲国赤江保」がみえる。出雲国が中央政府の掃部寮に納付を義務付けられていた筵を一括して納入すべく設定された便補保の一つであるが、鎌倉時代中期には国司がこれを収公して再び出雲国衙の支配下に置かれ、掃部寮への年貢納入は有名無実となっていた。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)に流鏑馬勤仕の第四番として赤江郷がみえ、文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳には、その第一六番として「赤江郷十八丁三反三百歩大弐僧都」がみえるのはこのことを示している。大弐僧都については不明だが、おそらく東国の幕府御家人で、新補地頭であろう。

国衙に収公されて消滅したかにみえた赤江保は、鎌倉時代末期に至って再び復活してくる。延慶元年(一三〇八)頃と推定される九月二六日の長井貞秀書状(金沢文庫文書)に、「南方御恩事ハ、南方料所出雲国赤江保本主返給候了、為其替周防国竈戸関被進候キ、其後ハ自京都も不蒙仰候之間、不審存候」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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