日本歴史地名大系 「赤見村」の解説
赤見村
あかみむら
- 栃木県:佐野市
- 赤見村
乾元二年(一三〇三)閏四月一二日の足利貞氏下文案(倉持文書)に足利庄内「赤見駒庭郷」とみえ、倉持師経は当郷半分と数ヵ所の所領を安堵されている。これらの所領は師経の祖母の一期知行と記されており、当地は一三世紀末頃に倉持氏の所領となっていたと考えられる。応永五年(一三九八)三月日の俊誉申状案(相承院文書)によれば、かつて足利貞氏が当郷内の一所を鎌倉の聖天堂に寄進したが、この頃は室町幕府の支配下にあって年貢も減少し、支配は有名無実となっていた。しかし永享五年(一四三三)四月五日には当郷内の田畠が足利貞氏の下文・手継証文などとともに珍誉から弘俊に譲与されており(「珍誉譲状」同文書)、実質的には鎌倉鶴岡八幡宮の相承院領であった。
赤見村
あかみむら
北に緑川、南西に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報