源義国(読み)みなもとのよしくに

改訂新版 世界大百科事典 「源義国」の意味・わかりやすい解説

源義国 (みなもとのよしくに)
生没年:?-1155(久寿2)

平安末期の武将。源義家の三男。母は中宮亮藤原有綱(一説に安芸守藤原有継)の娘とも足利基綱の娘ともいわれる。下野上野勢力を扶植し,やがて常陸にまで進出して1106年(嘉承1)叔父義光と合戦。50年(久安6)右大将藤原実能武力衝突し,勅勘をこうむって下野足利の別業に籠居。式部丞,従五位下であったので足利式部大夫と呼ばれた。54年(久寿1)出家,翌年6月26日死没。その長男義重は新田氏の,次男義康は足利氏の祖となっている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源義国」の解説

源義国 みなもとの-よしくに

?-1155 平安時代後期の武将。
源義家の3男。式部丞(じょう),加賀介。上野(こうずけ)(群馬県)新田郡本拠とする。久安6年(1150)家臣徳大寺実能(さねよし)の邸を焼きはらった事件をとがめられ,下野(しもつけ)(栃木県)足利の別宅に謹慎。長男義重は新田氏,次男義康は足利氏の祖となった。久寿2年6月26日死去。通称は足利式部大夫,荒加賀入道。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「源義国」の解説

源義国

没年:久寿2.6.26(1155.7.27)
生年:生年不詳
平安末期の武将。加賀介。久安6(1150)年,参内する途中で藤原実能と争い恥辱を受けたとして義国の郎従が実能邸を焼き払い,勅勘をこうむり,下野国(栃木県)足利に下る。足利・新田両氏の祖となる。

(峰岸純夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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