超昇寺跡(読み)ちようしようじあと

日本歴史地名大系 「超昇寺跡」の解説

超昇寺跡
ちようしようじあと

[現在地名]奈良市佐紀

平城宮跡の北方佐紀さき神社の北東にあったが、現存しない。開基は平城天皇皇子の真如親王(高岳親王)。創立年代は明らかでないが、「三代実録」貞観二年(八六〇)一〇月一五日条に「大和国平城京中水田五十五町四反二百八十八歩施捨不退、超昇両寺」とあって、同年にはすでに不退ふたい(現奈良市)とともに創建されていた。同四年に真如親王は後事を託して入唐し(三会定一記)、同七年一〇月に至って座主の決定をみた(三代実録)。「拾芥抄」には超証寺とみえ十五大寺の一つとされている。「大乗院寺社雑事記」長禄三年(一四五九)四月九日条に、「超昇寺ノ塔坊自焼(中略)、本堂炎上歟之由風聞、事実者以外事也、平城天皇第一皇子真如親王正草随分霊地也」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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