高岳親王(読み)タカオカシンノウ

デジタル大辞泉 「高岳親王」の意味・読み・例文・類語

たかおか‐しんのう〔たかをかシンワウ〕【高岳親王】

真如しんにょ俗名

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精選版 日本国語大辞典 「高岳親王」の意味・読み・例文・類語

たかおか‐しんのうたかをかシンワウ【高岳親王】

  1. 平城天皇第三皇子。嵯峨天皇皇太子であったが、「薬子の変」に連座して廃され、仏門にはいり、空海弟子となる。法名真如、遍明。貞観四年(八六二入唐、さらにインドに行く途中死去。延暦一八年(七九九)生。没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「高岳親王」の意味・わかりやすい解説

高岳親王 (たかおかしんのう)

平城天皇の第3皇子。生没年不詳。高丘親王とも書き,法名により真如(しんによ)親王ともいう。母は伊勢継子。809年(大同4)叔父の嵯峨天皇の即位により皇太子となるが,翌810年(弘仁1)の薬子(くすこ)の変によって廃太子となった。822年に四品に叙されたが,まもなく出家し,東大寺道詮から三論を,東寺で空海から真言密教を学んだ。また平城旧都に不退寺,超昇寺を建立した。855年(斉衡2)東大寺大仏修理検校(けんぎよう)となった。その後,密教の奥儀をきわめるため入唐を志し,861年(貞観3)朝廷の許可を受け翌年唐の商船で渡唐,864年に長安に達して西明寺に入った。当時入唐していた円載が真如入京を皇帝懿宗(いそう)に奏聞している。青竜寺の法全に疑義を尋ね,その後,天竺(インド)に渡ることを決意し,唐朝の許可を得て865年に出発したが,それ以降消息を断った。881年(元慶5)に入唐中の僧中瓘の報告により,旅行の途中羅越国(らえつこく)で客死したことが日本に伝えられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高岳親王」の意味・わかりやすい解説

高岳親王
たかおかしんのう

[生]延暦18 (799).京都
[没]貞観7 (865)?
平城天皇の第3皇子。高丘とも書く。出家して真如と号した。大同5(810)年平城上皇が復位をはかろうとして挙兵(→薬子の変),失敗して剃髪のとき,太子を廃された。のち仏門に入り,東寺に住し阿闍梨(あじゃり)となり,弘法大師(空海)の弟子となった。大師入滅ののち入唐求法を志し,貞観3(861)年唐に渡り,さらに同 7年インドに向かったが消息不明となった。元慶5(881)年在唐留学僧から,親王が西域に赴き羅越国で死去した旨報告があった。羅越国は今日のシンガポールにあたると推定されている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高岳親王」の解説

高岳親王
たかおかしんのう

799?~865?

高丘親王・真如(しんにょ)・遍明和尚・入唐(にっとう)三御子・皇子禅師とも。平安前期の真言宗僧。平城天皇の第3皇子。809年(大同4)嵯峨天皇の即位とともに皇太子となったが,翌年薬子(くすこ)の変で廃される。822年(弘仁13)頃出家し真忠と称したが,のち真如と改めた。道詮(どうせん)に三論教学を,空海に密教を学ぶ。855年(斉衡2)から7年間修理東大寺大仏司検校(けんぎょう)を勤めた。862年(貞観4)宗叡(しゅえい)など僧俗六十数人と入唐し,長安の法全(はっせん)から密教を受法して遍明と名のった。865年求法(ぐほう)のため広州から海路インドにむかったが,羅越(らえつ)国(マレー半島南端の国)で没した。享年67歳と伝える。

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百科事典マイペディア 「高岳親王」の意味・わかりやすい解説

高岳親王【たかおかしんのう】

平城(へいぜい)天皇の第3皇子。〈高丘〉とも。生没年不詳。嵯峨天皇の皇太子となったが,薬子(くすこ)の変で廃せられ,出家して真如(しんにょ)と名のる。諸寺をたずね宗叡(しゅえい)・修円・空海らに師事。862年宗叡とともに入唐,さらに仏跡を拝せんと志し,865年インドに向かったが消息を断った。
→関連項目在原氏

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旺文社日本史事典 三訂版 「高岳親王」の解説

高岳親王
たかおかしんのう

799〜865
平安前期の皇族
平城天皇第3皇子。809年嵯峨天皇の皇太子となったが,薬子 (くすこ) の変に連坐して廃され出家。空海の弟子となり,真如と呼ばれた。861年入唐。インドにおもむく途中,羅越(ラオス)国で没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高岳親王」の意味・わかりやすい解説

高岳親王
たかおかしんのう

真如

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世界大百科事典(旧版)内の高岳親王の言及

【超昇寺】より

…奈良市にあった寺。超勝寺とも書く。平城天皇の皇子高丘(たかおか)親王(出家して法名を真如(しんによ)という)が,835年(承和2)楊梅(やまもも)宮の跡地をたまわって創建した。10世紀の末,興福寺の清海がこの寺に住み,7日間の大念仏(超昇寺大念仏)を始め,極楽浄土の曼荼羅をえがいた。これを〈清海曼荼羅〉といい,日本の浄土三曼荼羅の一つに数えられている。中世の戦乱により衰退し,江戸初期にはわずかに堂1宇を残すのみとなり,隆光が復興につとめたが,ついに廃絶した。…

【平城天皇】より

…詩文や和歌を愛し,その子阿保(あぼ)親王の子に在原行平・業平が出た。また子高岳(たかおか)親王は薬子の変によって皇太子を廃された後に入唐し,さらに天竺に入ろうとして客死した。【目崎 徳衛】。…

【羅越国】より

…当時マレー半島に数多くあった,インドと中国との間の中継貿易に基礎を置いた小国家の一つであろう。日本の高岳親王(真如)遷化(せんげ)の地として知られるが,親王が虎に殺されたとする記述には疑問がある。【生田 滋】。…

※「高岳親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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