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高岳親王 たかおかしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高岳親王
たかおかしんのう

[生]延暦18 (799).京都
[没]貞観7 (865)?
平城天皇の第3皇子。高丘とも書く。出家して真如と号した。大同5(810)年平城上皇が復位をはかろうとして挙兵(→薬子の変),失敗して剃髪のとき,太子を廃された。のち仏門に入り,東寺に住し阿闍梨(あじゃり)となり,弘法大師空海)の弟子となった。大師入滅ののち入唐求法を志し,貞観3(861)年唐に渡り,さらに同 7年インドに向かったが消息不明となった。元慶5(881)年在唐留学僧から,親王が西域に赴き羅越国で死去した旨報告があった。羅越国は今日のシンガポールにあたると推定されている。

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百科事典マイペディアの解説

高岳親王【たかおかしんのう】

平城(へいぜい)天皇の第3皇子。〈高丘〉とも。生没年不詳。嵯峨天皇皇太子となったが,薬子(くすこ)の変で廃せられ,出家して真如(しんにょ)と名のる。諸寺をたずね宗叡(しゅえい)・修円・空海らに師事。
→関連項目在原氏

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世界大百科事典 第2版の解説

たかおかしんのう【高岳親王】

平城天皇の第3皇子。生没年不詳。高丘親王とも書き,法名により真如(しんによ)親王ともいう。母は伊勢継子。809年(大同4)叔父の嵯峨天皇の即位により皇太子となるが,翌810年(弘仁1)の薬子(くすこ)の変によって廃太子となった。822年に四品に叙されたが,まもなく出家し,東大寺で道詮から三論を,東寺で空海から真言密教を学んだ。また平城旧都に不退寺,超昇寺を建立した。855年(斉衡2)東大寺大仏修理検校(けんぎよう)となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高岳親王
たかおかしんのう

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世界大百科事典内の高岳親王の言及

【超昇寺】より

…奈良市にあった寺。超勝寺とも書く。平城天皇の皇子高丘(たかおか)親王(出家して法名を真如(しんによ)という)が,835年(承和2)楊梅(やまもも)宮の跡地をたまわって創建した。10世紀の末,興福寺の清海がこの寺に住み,7日間の大念仏(超昇寺大念仏)を始め,極楽浄土の曼荼羅をえがいた。これを〈清海曼荼羅〉といい,日本の浄土三曼荼羅の一つに数えられている。中世の戦乱により衰退し,江戸初期にはわずかに堂1宇を残すのみとなり,隆光が復興につとめたが,ついに廃絶した。…

【平城天皇】より

…詩文や和歌を愛し,その子阿保(あぼ)親王の子に在原行平・業平が出た。また子高岳(たかおか)親王は薬子の変によって皇太子を廃された後に入唐し,さらに天竺に入ろうとして客死した。【目崎 徳衛】。…

【羅越国】より

…当時マレー半島に数多くあった,インドと中国との間の中継貿易に基礎を置いた小国家の一つであろう。日本の高岳親王(真如)遷化(せんげ)の地として知られるが,親王が虎に殺されたとする記述には疑問がある。【生田 滋】。…

※「高岳親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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