趙炳玉(読み)ちょうへいぎょく(英語表記)Cho Byǒng-ok

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「趙炳玉」の意味・わかりやすい解説

趙炳玉
ちょうへいぎょく
Cho Byǒng-ok

[生]高宗31(1894).忠清南道
[没]1960.2.
韓国の独立運動家,政治家。号は維石。コロンビア大学卒業後,同大学院で哲学博士号を取得し帰国。延禧専門学校で教鞭をとり,独立運動に身を投じた。新幹会に参加し,光州学生事件,興士団事件で投獄され,5年間服役した。解放後,韓国民主党総務,アメリカ軍政庁警務部長をつとめ,韓国政府樹立後はイ・スンマン (李承晩) 大統領特使として中国,アメリカを歴訪。 1950年内務部長官に就任。 55年申翼煕などとともに民主党を組織,代表最高議員となった。 60年第4代大統領選挙に民主党の大統領候補に選ばれたが,大統領選挙を前にしてアメリカの病院で死去

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世界大百科事典(旧版)内の趙炳玉の言及

【興士団】より

…20年代に朝鮮内にも姉妹団体ともいうべき同友会が結成されたが,37年安昌浩,李光洙ら会員150名が一斉検挙され解体した。解放後興士団は本部をソウルに移し,米軍政下の過渡政府では趙炳玉ら数人がその閣僚として名を連ねた。63年に学生部門として設置された興士団アカデミーは,70年代末には韓国民主化運動との関連で注目された。…

※「趙炳玉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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