足利紫山(読み)アシカガ シザン

20世紀日本人名事典 「足利紫山」の解説

足利 紫山
アシカガ シザン

明治〜昭和期の僧侶 臨済宗奥山方広寺派管長;臨済宗十三派合同初代管長。



生年
安政6年4月11日(1859年)

没年
昭和34(1959)年12月30日

出生地
愛知県

別名
号=閒雲室

学歴〔年〕
東京湯島麟祥院臨済宗僧校に学ぶ

経歴
8歳の時得度、明治8年東京湯島の臨済宗僧校で学び、11年岐阜県正眼寺僧堂霧隠軒泰竜に修禅、14年京都相国寺僧堂の荻野独園参究、24年大分市万寿寺住職、25年京都玉竜院に居士林を開設、荻野独園に印可を受けた。29年万寿寺で禅堂を開き、日露戦争に際し臨済宗奉公会を組織、育児院を開いて児童福祉に尽力。昭和元年万寿寺を隠退、2年臨済宗方広寺派管長、14年同宗十三派合同初代管長に就任。21年方広寺管長を辞退、27年再び同寺管長となった。29年奥山老人ホームを創設著書に「臨済録提唱」「毒語心経提唱」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足利紫山」の解説

足利紫山 あしかが-しざん

1859-1959 明治-昭和時代の僧。
安政6年4月1日生まれ。泰竜文彙(たいりゅう-ぶんい),荻野独園(おぎの-どくおん)らについて修行。明治24年大分の万寿寺住持となる。翌年独園の法をつぎ,臨済宗(りんざいしゅう)方広寺派管長,臨済宗初代管長をつとめた。昭和34年12月30日死去。100歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。麟祥院(りんしょういん)臨済宗僧校卒。俗姓は野々垣。法名は恵温。著作に「臨済録提唱」「毒語心経提唱」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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