日本歴史地名大系 「身狭桃花鳥坂上陵」の解説 身狭桃花鳥坂上陵むさのつきさかのへりよう 奈良県:橿原市畝傍地区鳥屋村身狭桃花鳥坂上陵[現在地名]橿原市鳥屋町貝吹(かいぶき)山から北に延びる尾根の先端に築かれた北北東を向く前方後円墳で、墳丘全長一三八メートル、後円部径八三メートル。封土は二段に築成されており、くびれ部両側に方形の造出しをもっている。周濠は馬蹄形に作られているが、後円部南側は極端に狭い。墳丘には葺石や埴輪がみられる。古墳は見三才(みさんざい)古墳ともよばれ、宣化天皇の身狭桃花鳥坂上陵に治定。「日本書紀」宣化天皇四年一一月条に「天皇を大倭国の身狭桃花鳥坂上陵に葬りまつる」、「延喜式」(諸陵寮)に「在大和国高市郡、兆域東西二町、南北二町、守戸五烟」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by