近松門左衛門墓(読み)ちかまつもんざえもんのはか

国指定史跡ガイド 「近松門左衛門墓」の解説

ちかまつもんざえもんのはか【近松門左衛門墓】


大阪府大阪市中央区谷町と兵庫県尼崎市久々知にある墓所。菩提寺である尼崎市の日蓮宗広済寺と妻の実家の菩提寺であった大阪市の日蓮宗法妙寺跡の両方にある。墓碑用材、刻文もまったくく同じことから、同時に建立されたと考えられている。近松門左衛門の足跡を顕彰するため、1966年(昭和41)に両所が国の史跡に指定された。墓はいずれも3重の石台の上に緑泥片岩の自然石を用いた質素な碑で、大阪市のものは大きさが55cm、広済寺のものは48cm。門左衛門(1653~1724年)は、江戸時代前期の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者で、本名杉森信盛(すぎもりのぶもり)。20歳のころから浄瑠璃、歌舞伎狂言を書きはじめ、1685年(貞享2)、竹本義太夫(ぎだゆう)のために「出世景清(かげきよ)」を書いて名声を得、大坂に移り住み、竹本座と提携して1724年(享保9)に没するまで数多くの作品を残した。日本のシェークスピアと称され、「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」などの世話物に新境地を開いた。芭蕉(ばしょう)、西鶴(さいかく)とともに元禄時代の三大作家のひとり。大阪市の墓へは、地下鉄谷町線谷町六丁目から徒歩約5分。広済寺へは、JR福知山線塚口駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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