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近衛上奏文 このえじょうそうぶん

大辞林 第三版の解説

このえじょうそうぶん【近衛上奏文】

太平洋戦争の末期の1945年(昭和20)2月に近衛文麿が行なった上奏。国体護持のためには即時停戦が必要と主張した。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の近衛上奏文の言及

【近衛文麿】より

…6月の独ソ開戦ののち日米交渉に反対の松岡洋右外相をしりぞけて第3次内閣を組織したが,南部仏印進駐で交渉が行き詰まるなかで,中国からの撤兵問題をめぐって東条英機陸相と対立して10月に総辞職した。太平洋戦争の敗色こい45年2月には,〈国体護持の立場より憂うべきは敗戦よりもこれに伴う共産革命〉との上奏をおこない(近衛上奏文),終戦をはかった。敗戦直後には東久邇稔彦内閣の無任所大臣となり,ついで内大臣府御用掛として憲法改正の取調べにあたったが,戦犯容疑者の指名をうけ,出頭当日の未明に自殺した。…

【終戦工作】より

…戦争終結をめざす民間人の動きは,1942年からあったが,いずれも政府を動かすにはいたらなかった。しかし日本の敗北が決定的となるにしたがい,近衛文麿らの宮中グループを中心とする和平工作活動が強まり,45年2月近衛は〈国体護持〉の立場から早期終戦を提案した近衛上奏文を天皇に提出した。5月のドイツ降伏を契機に,最高戦争指導会議構成員会議でソ連を仲介とする和平工作が検討され,東郷茂徳外相の委嘱をうけた広田弘毅元首相は,6月3日から駐日ソ連大使マリクY.A.Malik(1906‐80)との会談を開始した。…

※「近衛上奏文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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