寛元(読み)カンゲン

関連語 ほうじ

精選版 日本国語大辞典 「寛元」の意味・読み・例文・類語

かんげんクヮンゲン【寛元】

  1. 鎌倉時代中期、後嵯峨・後深草両天皇の代の年号。仁治四年(一二四三)二月二六日代始により改元。寛元四年一月以降後深草天皇。寛元五年二月二八日宝治と改元。将軍藤原頼経・頼嗣、執権北条経時・時頼の時代。出典は「宋書」の「舜禹之際、五教在寛、元元以平」。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本の元号がわかる事典 「寛元」の解説

かんげん【寛元】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1243年から1247年まで、後嵯峨(ごさが)天皇、後深草(ごふかくさ)天皇の代の元号。前元号は仁治(にんじ)。次元号は宝治(ほうじ)。1243年(仁治4年)2月26日改元。後嵯峨(ごさが)天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『宋書(そうじょ)』を出典とする命名。1246年(寛元4)、後嵯峨天皇は4歳の後深草天皇に譲位し、院政を敷いた。後深草天皇は在位中、直接政務をとることはなかった。寛元年間の鎌倉幕府の将軍は藤原(九条)頼経(よりつね)(4代)、藤原(九条)頼嗣(よりつぐ)(5代)、執権は北条経時(つねとき)(4代)、北条時頼(ときより)(5代)。藤原頼経は第3代将軍の源実朝(さねとも)の死後、2代執権の北条義時(よしとき)や北条政子(まさこ)(源頼朝(よりとも)正室)によって擁立された傀儡将軍。当初は実権をもたなかったが、反北条得宗家勢力が頼経のもとに集まるようになり、次第に幕府内での権力基盤を固めていった。寛元年間には頼経は執権の北条経時と対立、1244年(寛元2)に嫡男の頼嗣に将軍職を譲るよう迫られ、1246年(寛元4)には執権を引き継いだ北条時頼によって京都に送還された。

出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む