デジタル大辞泉 「ヘルシンキ宣言」の意味・読み・例文・類語
ヘルシンキ‐せんげん【ヘルシンキ宣言】
1975年、フィンランドの首都ヘルシンキで開催されたCSCE(全欧安保協力会議)で調印された合意文書の通称。ヨーロッパ各国の主権の尊重、経済・科学技術分野での協力、人権と基本的自由の尊重などを内容とする。
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1972~75年にかけて開催されたヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)の首脳会議の最終合意文書。国際関係の行動10原則と信頼醸成措置について取り決めた第1バスケット,経済,科学技術,環境の領域の協力を取り決めた第2バスケット,および人的接触や情報の普及など人道的領域の協力について取り決めた第3バスケットからなる。人権尊重を国際行動原則に取り入れた点で画期的な国際合意である。冷戦下の東西国際協力や市民運動のよりどころとなった。
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…医薬品開発における臨床試験の段階で,薬品会社の社員や精神病院入院患者などを対象に人体実験が行われた。条件が確定していない臨床試験には,つねに人体実験的な要素がつきまとうので,医学や薬学関連領域での臨床研究についても,世界医師会が1964年にヘルシンキ宣言(世界医師会倫理綱領)を作成している。これでも,ニュルンベルク綱領と同様に〈被験者に対する完全な説明と,そののちの自由意志による同意〉が基本原則になっている。…
…61年にはヨーロッパ自由貿易連合に参加し,政治的にも経済的にも北欧諸国の一員となった。 フィンランドの外交は,いかなる強国にも依存しない中立と,相互信頼の上に築かれた隣接諸国との友好関係を保持することを根幹とし,この平和的中立政策は1975年ヘルシンキで開催されたヨーロッパ安全保障協力会議のいわゆるヘルシンキ宣言の中に生かされ,国際的にも広く認められるところとなった。 だが,ドイツの統一,ソ連の崩壊,ヨーロッパにおけるイデオロギーの分裂が消滅したので,95年にはヨーロッパ連合(EU)の加盟国となった。…
… CSCEのこのような発展の背景には,1975年7月30日から3日間ヘルシンキで行われた首脳会議の成功があった。この会議で採択された〈最終文書〉(いわゆるヘルシンキ宣言)は,(1)国際関係を律する諸原則と軍事的信頼醸成措置の導入を含むヨーロッパ安全保障に関する取決め,(2)経済・科学技術・環境分野での協力,(3)人道的およびその他の分野での協力,という内容の三つのバスケットからなる。これらは,戦後ヨーロッパの領土的・政治的現状の固定化という東側の狙いと,東側世界での人権尊重という西側の要求との妥協の所産ではあった。…
※「ヘルシンキ宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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