ヘルシンキ宣言(読み)ヘルシンキセンゲン

デジタル大辞泉 「ヘルシンキ宣言」の意味・読み・例文・類語

ヘルシンキ‐せんげん【ヘルシンキ宣言】

《「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」の通称》1964年、フィンランドの首都ヘルシンキで開催された世界医師会総会で採択された、臨床研究の倫理指針。時代の要請に応じて随時改訂される。被験者の権利・利益を優先すること、一般に認知された科学的諸原則に従って行うこと、計画書を研究倫理委員会に提出し承認を得ること、被験者の自主的な同意を得ること、などが示されている。
1975年、フィンランドの首都ヘルシンキで開催されたCSCE(全欧安保協力会議)で調印された合意文書の通称。ヨーロッパ各国の主権尊重経済科学技術分野での協力、人権と基本的自由の尊重などを内容とする。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルシンキ宣言」の意味・わかりやすい解説

ヘルシンキ宣言
ヘルシンキせんげん
Helsinki Accords

1975年8月1日,フィンランドのヘルシンキで開催されたヨーロッパ安全保障協力会議 CSCEで調印された最終文書。アルバニアを除く全ヨーロッパ諸国にアメリカ合衆国カナダを加えた計 35ヵ国の首脳が参加した。(1) ヨーロッパの安全保障,(2) 経済・科学技術分野の協力,(3) 人権問題,の 3分野(バスケット)からなる。第1バスケットにおいては国境不可侵武力による変更の拒否,および人権尊重が,第3バスケットにおいては人や情報の交流の自由化が合意された。これによって東西緊張(→冷戦緩和が進み,軍備管理対話への道が開けた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘルシンキ宣言」の解説

ヘルシンキ宣言(ヘルシンキせんげん)
Helsinki Final Act

1972~75年にかけて開催されたヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)の首脳会議の最終合意文書。国際関係の行動10原則と信頼醸成措置について取り決めた第1バスケット,経済,科学技術,環境の領域の協力を取り決めた第2バスケット,および人的接触や情報の普及など人道的領域の協力について取り決めた第3バスケットからなる。人権尊重を国際行動原則に取り入れた点で画期的な国際合意である。冷戦下の東西国際協力や市民運動のよりどころとなった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ヘルシンキ宣言」の解説

ヘルシンキ宣言
ヘルシンキせんげん

1975年7〜8月に開催された全欧安全保障協力会議(CSCE)で採択された宣言
1970年代におけるデタント(緊張緩和)を背景として,アルバニアを除く全ヨーロッパ33か国とアメリカ・カナダの首脳が集まった会議で,国家主権の尊重,武力不行使,国境の不可侵,領土保全,紛争の平和的解決,内政不干渉,人権と諸自由の尊重などの原則を掲げた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

百科事典マイペディア 「ヘルシンキ宣言」の意味・わかりやすい解説

ヘルシンキ宣言【ヘルシンキせんげん】

ヨーロッパ安全保障協力機構

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルシンキ宣言」の意味・わかりやすい解説

ヘルシンキ宣言
へるしんきせんげん

ヨーロッパ安全保障協力会議

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のヘルシンキ宣言の言及

【人体実験】より

…医薬品開発における臨床試験の段階で,薬品会社の社員や精神病院入院患者などを対象に人体実験が行われた。条件が確定していない臨床試験には,つねに人体実験的な要素がつきまとうので,医学や薬学関連領域での臨床研究についても,世界医師会が1964年にヘルシンキ宣言(世界医師会倫理綱領)を作成している。これでも,ニュルンベルク綱領と同様に〈被験者に対する完全な説明と,そののちの自由意志による同意〉が基本原則になっている。…

【フィンランド】より

…61年にはヨーロッパ自由貿易連合に参加し,政治的にも経済的にも北欧諸国の一員となった。 フィンランドの外交は,いかなる強国にも依存しない中立と,相互信頼の上に築かれた隣接諸国との友好関係を保持することを根幹とし,この平和的中立政策は1975年ヘルシンキで開催されたヨーロッパ安全保障協力会議のいわゆるヘルシンキ宣言の中に生かされ,国際的にも広く認められるところとなった。 だが,ドイツの統一,ソ連の崩壊,ヨーロッパにおけるイデオロギーの分裂が消滅したので,95年にはヨーロッパ連合(EU)の加盟国となった。…

【ヨーロッパ安全保障協力機構】より

… CSCEのこのような発展の背景には,1975年7月30日から3日間ヘルシンキで行われた首脳会議の成功があった。この会議で採択された〈最終文書〉(いわゆるヘルシンキ宣言)は,(1)国際関係を律する諸原則と軍事的信頼醸成措置の導入を含むヨーロッパ安全保障に関する取決め,(2)経済・科学技術・環境分野での協力,(3)人道的およびその他の分野での協力,という内容の三つのバスケットからなる。これらは,戦後ヨーロッパの領土的・政治的現状の固定化という東側の狙いと,東側世界での人権尊重という西側の要求との妥協の所産ではあった。…

※「ヘルシンキ宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android