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軍縮会議 ぐんしゅくかいぎ Conference on Disarmament; CD

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

軍縮会議
ぐんしゅくかいぎ
Conference on Disarmament; CD

冷戦期に発足した,多国間軍縮交渉機関。通称ジュネーブ軍縮会議といわれる。国際連合軍縮委員会での軍縮交渉が行きづまった結果,西ヨーロッパ側 5ヵ国(アメリカ合衆国イギリスフランスカナダイタリア)と共産圏 5ヵ国(ソビエト連邦ポーランド,チェコスロバキア,ルーマニアブルガリア)で構成される新しい十ヵ国軍縮委員会国連総会によって設けられ,1960年3月ジュネーブに会合した。

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知恵蔵2015の解説

軍縮会議

軍縮と軍備管理のための常設多国間交渉機関。開催場所からジュネーブ軍縮会議とも言う。起源は、1959年、米ソ英仏共同コミュニケで設置を決め、60年、ジュネーブで審議を開始した10カ国軍縮委員会。62年、米ソ交渉で設置を決定した18カ国軍縮委員会が審議を開始。69年、日本など8カ国が加入、軍縮委員会会議(CCD)と改称。78年、国連軍縮特別総会の決議を受け、軍縮委員会(CD、40カ国が加盟)となる。84年、軍縮会議と改称、現在にいたる。65カ国が加盟(07年3月)。なお類似した名称の会議があり、国連軍縮委員会(UN Disarmament Commission)は、78年に設置された国連総会の機関で、毎年春にニューヨークで軍縮問題を審議。また国連軍縮会議(UN Conference on Disarmament Issues)は、各国外交官、研究者、NGOジャーナリストが軍縮のための世論形成を目的として自由討議を行う国連の会議で、89年以降、京都、広島、長崎など日本の各都市で毎年開催。

(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2008年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

ぐんしゅく‐かいぎ〔‐クワイギ〕【軍縮会議】

軍備縮小のための国際会議第一次大戦後、ワシントン・ジュネーブ・ロンドンなどで主に海軍軍備制限のために開催され、1932年にはジュネーブで国際連盟の主催で開催。第二次大戦後は国際連合の主催で続けられている。軍備縮小会議。

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大辞林 第三版の解説

ぐんしゅくかいぎ【軍縮会議】

軍備縮小のための国際会議。第一次大戦後、ワシントン・ジュネーブ・ロンドンで海軍軍備制限のための会議が開かれ、1932年には国際連盟の主催で開かれた。第二次大戦後は、主に国際連合の主催で開かれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

軍縮会議
ぐんしゅくかいぎ
Conference on Disarmament

ジュネーブに設けられている唯一の多国間の軍縮交渉機関で、1984年以前の軍縮委員会から発展した。現在でもジュネーブ軍縮委員会と通称されることがあるが、軍縮会議が正式名称。略称CD。国際連合の最初の軍縮委員会は、それ以前に活動していた国連原子力委員会国連通常軍備委員会の機能を統合する形で、1952年1月に設置された。1954年4月、この委員会の下に5か国小委員会アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、カナダ)が設けられたが、1957年にはソ連が同委員会の構成などを不満として不参加を表明、新たな機関の模索が始まった。その結果、まず国連内に全加盟国からなる国連軍縮委員会が1958年11月に設けられた。ついで1959年9月に「10か国軍縮委員会」の設置が決定され、1960年3月に発足した。10か国軍縮委員会は、ソ連の東西同数原則の主張に従って、東側の5か国(ソ連、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリア)と西側の5か国(アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、カナダ)から構成される交渉機関であったが、西側がこの機関構成原則を国連内に持ち込むことを嫌ったため、いちおう国連外の機関としてジュネーブに設置された(事務局機能は国連内)。この国連外の委員会を原型として、その後の専門的軍縮交渉機関は発展した。
 同委員会はソ連の東西両陣営と非同盟諸国というトロイカ方式の主張に沿って、1961年12月、非同盟8か国を加え18か国軍縮委員会に拡大した。1969年8月には新たに8か国が加わり、名称も軍縮委員会会議(CCD)と改称された。1975年1月に再度拡大改組され、東西両ドイツなど5か国が参加した(計31か国)。この交渉機関は、最初の設立経緯からして米ソ主導の東西両陣営間の交渉機関という性格をもっていたが、これが実質的な軍縮を妨げるとして不満を抱く非同盟諸国の要求で、1978年5~6月に、第1回国連軍縮特別総会が開催された。この総会で1960年代なかば以降、休眠状態に陥っていた国連全加盟国からなる国連軍縮委員会の審議機能を復活するとともに、軍縮委員会会議も改組され、新たにフランス、中国を含む40か国からなる軍縮委員会(CD)が設置された。この委員会が1984年、現在の軍縮会議(CD)に名称を変更、1996年6月より23か国が加わり(61か国)、さらに1999年より現在の65か国となった。1960年代から核不拡散条約(NPT、1968年)、生物兵器禁止条約(BWC、1972年)、化学兵器禁止条約(CWC、1993年)など重要な条約の作成にあたった。最後の成果が包括的核実験禁止条約(CTBT、1996年、未発効)で、それ以後は実質的交渉はほとんど行っていない。議題採択の混乱を避けるため毎年会期冒頭に通年議題を採択するが、2010年の主要な議題は、核軍縮、分裂性物質生産停止条約(FMCT、核戦争防止議題の一つ)、宇宙軍備競争防止(PAROS)、非核兵器国に対する消極的安全保障供与(NSA)、放射性兵器等新型大量破壊兵器、などである。[納家政嗣]

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世界大百科事典内の軍縮会議の言及

【ジュネーブ軍縮委員会】より

…ENDC以来,欠席を続けていたフランスが出席し,中国も80年3月より参加した。なお,84年に〈軍縮会議The Conference on Disarmament〉(略称CD)と改称された。日本は1969年のENDC加入以来,一貫してメンバーとして活動を続け,CDの82年4月会期では議長を務めた。…

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