連阿(読み)れんあ

朝日日本歴史人物事典 「連阿」の解説

連阿

没年享保14.7.5(1729.7.30)
生年:寛文11(1671)
江戸前・中期の歌人備後(広島)の人。若年時の経歴未詳。40歳ごろに出家して時宗に入る。遊行49世一法上人に従って諸国を回る。この折に一法の一行と別れて盛岡から江戸へ向かうが,紀行『壺の石碑』には歌枕への強い関心がみられ,和歌に対する素養の深さをしのぶことができる。後年,江戸麻布に庵を結んで武家歌人達に堂上歌学を伝えた。武者小路実陰師事門人の亨弁,亨弁の指導を受けた萩原宗固へと彼の学統は伝えられ,近世中期の江戸堂上派の一流派として相応の影響力を持った。家集『竹葉集』。同書所収の紀行『ゆの山ぶみ』『木曾の山ぶみ』も豊富な内容を有する。<参考文献>松野陽一編『江戸堂上派歌人資料連阿著作集』

(久保田啓一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「連阿」の解説

連阿 れんあ

1671-1729 江戸時代中期の歌人。
寛文11年生まれ。備後(びんご)(広島県)の人。武者小路実陰(むしゃのこうじ-さねかげ)の門人。40歳ごろ出家し,時宗の一法上人について諸国をめぐる。晩年は江戸で堂上派の歌学をおしえた。享保(きょうほう)14年7月5日死去。59歳。別号に好古堂。家集に「竹葉集」,紀行に「つほのいしふみ」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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