逸見東洋(読み)ヘンミ トウヨウ

20世紀日本人名事典 「逸見東洋」の解説

逸見 東洋
ヘンミ トウヨウ

明治・大正期の工芸家



生年
弘化3年10月18日(1846年)

没年
大正9(1920)年12月24日

出生地
備前国岡山(岡山県岡山市)

本名
逸見 大吉

主な受賞名〔年〕
内国勧業博覧会一等賞金牌(第4回)〔明治28年〕

経歴
文久2年(1862年)京都に上り、刀工の技術を学ぶ。元治1年(1864年)に郷里岡山に帰り、竹貫斎義隆の名で刀工となった。類い希なる技量を持ち、“明治正宗”ともてはやされたが、明治5年の廃刀令廃業。その後は木彫や竹彫・漆芸堆朱堆黒などを幅広く手がけるようになり、精緻かつ鋭い切れ味を持った彫りでそれぞれ独特の作品を残した。明治28年ツゲ材の蟹の置物で第4回内国勧業博覧会一等賞金牌を獲得。また、43年堆朱食籠を明治天皇に、大正4年には兄との合作太刀を大正天皇に献上している。工芸の他にも柔術・弓術・書道・謡曲茶道などにも通じた。作品は他に「風神雷神図堆朱盆」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「逸見東洋」の解説

逸見東洋 へんみ-とうよう

1846-1920 明治-大正時代の工芸家。
弘化(こうか)3年10月18日生まれ。京都で刀工の技を修業し,郷里の備前岡山で作刀。廃刀令を機に廃業,木彫,漆芸の技法を研究して独自の境地をひらいた。漆芸は堆朱(ついしゅ),堆黒,堆白にまでおよんだ。大正9年12月24日死去。75歳。本名は大吉。作品に「風神雷神図堆朱香盆」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android