明治初年に士族の帯刀を禁止した法令。1876年3月28日太政官布告38号で,大礼服着用の時および軍人・警察官の制服着用の時以外の帯刀を禁じたもの。豊臣秀吉の刀狩り以来庶民の武装は禁止される一方で帯刀は武士のみに許されたため,近世を通じて武士の特権的意識の象徴となり,刀は武士の魂とまでいわれるようになった。なお,農工商は一定の功績により名主・庄屋などが苗字や帯刀を許されることはあった。維新後廃刀論がおこり1869年(明治2)には公議所で森有礼が官吏軍人以外の廃刀を提案,これは否決されたが70年12月庶民の帯刀が禁止され,71年8月には散髪脱刀令が公布された。散髪は文明開化の象徴として普及したが士族の帯刀者は多く,75年12月陸軍卿山県有朋が徴兵令により武士の帯刀の必要はなくなったとして廃刀を建議し,廃刀令公布となった。これは秩禄処分とあいまって士族反乱を誘発したが,以後国民の非武装が定着した。
執筆者:田村 貞雄
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1876年(明治9)3月28日の帯刀禁止に関する太政官布告。陸軍卿山県有朋(やまがたありとも)の建議によって出され,以後大礼服および軍人・警察官などの制服着用時以外の帯刀は禁じられた。1870年に庶民の帯刀禁止令が出され,翌年には散髪・脱刀が勝手次第とされたが,帯刀は士族身分の象徴として保守的な士族を中心に続けられた。73年国民皆兵をうたった徴兵令によって士族は職を失い,さらに帯刀禁止によって精神的な支えをも失うこととなった。廃刀令は士族の誇りを傷つけるものとして,神風連(じんぷうれん)の乱勃発の直接の引き金となった。
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