道笑町(読み)どうしようまち

日本歴史地名大系 「道笑町」の解説

道笑町
どうしようまち

[現在地名]米子市道笑町一―四丁目・万能町まんのうちよう弥生町やよいちよう昭和町しようわちよう

日野ひの町の北にあり、伯耆街道両側に続く町人町。同街道と、湊に通ずる東西の町人通りとが町の中央部でぶつかり、城の外堀は当町の南西で南北方向から西へ折れる。総間数一〇九間。のちに新出雲街道(上方往来)になる瓢箪ひようたん小路が町の南端から東に入っている。瓢箪小路は橋までは三六間、同所より先の加茂かも川の橋までは三三間(明治二年「町々間数等書上」米子市史)町名は米子荒尾家の医師英道笑(道正)が当町に居住、弟俊英も医者で吉田家を継ぎ道正と称したことに由来するという。享保五年(一七二〇)の湊山金城米子新府(県立博物館蔵)では道勝町とみえ、道正町とも記された。元禄八年(一六九五)の米子町中竈之覚(米子市史)では家持四一軒・借家五一軒。加茂川沿いの北部・東部の低湿地には耕作者があり、文化元年(一八〇四)の下札に基づく生高約一〇九石余、物成六〇石余(米子市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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