遠藤 三郎
エンドウ サブロウ
大正・昭和期の平和運動家,陸軍中将 憲法擁護国民連合常任理事;日中友好元軍人の会代表。
- 生年
- 明治26(1893)年1月2日
- 没年
- 昭和59(1984)年10月11日
- 出生地
- 山形県
- 学歴〔年〕
- 陸士〔大正3年〕卒,陸大〔大正11年〕卒
- 経歴
- フランスに留学、パリの陸軍大学校に学んだのち、昭和2年ジュネーブ海軍軍縮会議随員、関東軍参謀副長、軍需省航空兵器総局長官、航空工業会総裁を歴任。陸軍中将で終戦を迎え、戦後公職追放のあと、昭和28年憲法擁護国民連合を片山哲らと組織し、平和、再軍備反対運動を推進。36年日中友好元軍人の会をつくった。「日中十五年戦争と私」の著書がある。
遠藤 三郎
エンドウ サブロウ
昭和期の官僚,政治家 衆院議員(自民党);建設相。
- 生年
- 明治37(1904)年4月15日
- 没年
- 昭和46(1971)年12月27日
- 出生地
- 静岡県沼津市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 昭和5年農林省に入り、総務局長、畜産局長を経て24年静岡2区から衆院議員に当選、以来9回当選。衆院経済安定委員長となり、第1次鳩山一郎内閣の大蔵政務次官、33年第2次岸信介内閣の建設大臣となった。自民党内では農林漁業基本政策調査会長、経済調査会長、総務などを務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
遠藤 三郎
エンドウ サブロウ
- 肩書
- 衆院議員(自民党),建設相
- 生年月日
- 明治37年4月15日
- 出生地
- 静岡県沼津市
- 学歴
- 東京帝大法学部〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 昭和5年農林省に入り、総務局長、畜産局長を経て24年静岡2区から衆院議員に当選、以来9回当選。衆院経済安定委員長となり、第1次鳩山一郎内閣の大蔵政務次官、33年第2次岸信介内閣の建設大臣となった。自民党内では農林漁業基本政策調査会長、経済調査会長、総務などを務めた。
- 没年月日
- 昭和46年12月27日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
遠藤三郎(1) えんどう-さぶろう
1893-1984 大正-昭和時代の軍人,平和運動家。
明治26年1月2日生まれ。陸軍参謀本部課長,関東軍参謀副長などをへて,昭和18年軍需省航空兵器総局長官。中将。戦後は再軍備反対,憲法擁護の運動に参加。日中友好元軍人の会会長もつとめた。昭和59年10月11日死去。91歳。山形県出身。陸軍大学校卒。著作に「日中十五年戦争と私」。
遠藤三郎(2) えんどう-さぶろう
1904-1971 昭和時代の官僚,政治家。
明治37年4月15日生まれ。昭和5年農林省にはいる。総務局長,畜産局長などをへて,24年衆議院議員(当選9回,自民党)となる。33年第2次岸内閣建設相。昭和46年12月27日死去。67歳。静岡県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
遠藤 三郎 (えんどう さぶろう)
生年月日:1904年4月15日
昭和時代の官僚;政治家。衆議院議員
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報