那珂庄・那賀郷(読み)なかのしよう・なかごう

日本歴史地名大系 「那珂庄・那賀郷」の解説

那珂庄・那賀郷
なかのしよう・なかごう

佐土原町下那珂・東上那珂・西上那珂一帯に比定される。平安末期、那珂郡には豊前宇佐宮領那珂庄と八条女院領国富くどみ庄があった。宇佐宮領の成立の由緒を語る宇佐大鏡によれば、「那珂庄」は永保三年(一〇八三)国司多治真人成助のとき封民三八人の代として那珂郡の郡家ぐうけ院を宇佐宮に寄進して開発したものであった。起請定田は一〇〇町で、長承年間(一一三二―三五)の目録(同書)によると定田は一〇四町九反二〇代、宇佐大宮司公通の時に地頭であった藤原明助の申請によって減額され、定田は六〇町に減っていた。当初の地頭は惟宗高安であったが、年貢の未進が多いため宇佐大宮司公基が諸県大夫の田部宗綱に命じて年貢を皆済させた。そのため知行権は田部宗綱の進退するところとなり、高安の訴訟申請にもかかわらず、当庄にかかわる証文を高安から宇佐大宮司公通の母の笠氏が買取り、宗綱は娘で惟宗吉高の妻となった女性に知行権を譲渡し、この女性から娘で藤原明助の妻となった人物に相伝されたという(同書)。ここにみえる宗綱は土持氏の先祖であろう。なおこの那珂庄は建久図田帳に載る八条女院領国富庄の那珂との関係が問題となるが、那珂庄が八条女院領に組込まれる可能性はない。宇佐大鏡に載る那珂庄は建久図田帳に載る宇佐宮領の那珂郡広原ひろわら庄一〇〇町と田数が一致しており、逆にこの広原庄は宇佐大鏡に庄名がみえず、なんらかの理由から那珂庄はのち広原庄とよばれるようになった可能性を考える必要がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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