郎世寧(読み)ロウセイネイ(その他表記)Lang Shi-ning

デジタル大辞泉 「郎世寧」の意味・読み・例文・類語

ろう‐せいねい〔ラウ‐〕【郎世寧】

カスティリオーネの中国名。

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精選版 日本国語大辞典 「郎世寧」の意味・読み・例文・類語

ろう‐せいねいラウ‥【郎世寧】

  1. カスティリオーネ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「郎世寧」の意味・わかりやすい解説

郎世寧
ろうせいねい
Lang Shi-ning

[生]1688.7.19. ミラノ
[没]乾隆31(1766).6.10. 北京
中国,清前期のイタリア人の宮廷画家。イタリア名カスティリオーネ Giuseppe Castiglione。 1707年イエズス会に入り,当時すでに絵事にすぐれた。のち中国に渡り画家として清朝に奉仕することを決意し,ポルトガル経由で 15年7月 10日マカオ着,同年 (康煕 54) 11月2日北京に着き,康煕帝に拝謁した。以後,康煕,雍正,乾隆3朝に仕えて多くの絵画を制作したほか,乾隆 12 (1747) 年より造営された円明園築造にもたずさわった。その絵画作品は,中国風のマティエールを用い,西洋風の陰影法と写実主義をもって描く折衷的な様式によっており,同時期の画院絵画に大きな影響を与えた。

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百科事典マイペディア 「郎世寧」の意味・わかりやすい解説

郎世寧【ろうせいねい】

清朝に仕えたイタリアのイエズス会修道士,画家。イタリア名はカスティリオーネGiuseppe Castiglione。1715年北京に渡り,康煕・雍正・乾隆3帝の厚遇受け,その命に従って各種の絵を制作した。西洋画法に中国伝統の画趣を加味し,《百駿図巻》,《円明園全図》(中国人画家と共作)などを残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「郎世寧」の意味・わかりやすい解説

郎世寧
ろうせいねい

カスティリオーネ

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旺文社世界史事典 三訂版 「郎世寧」の解説

郎世寧
ろうせいねい

カスティリオーネ

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世界大百科事典(旧版)内の郎世寧の言及

【カスティリオーネ】より

…イタリアのイエズス会修道士で宮廷画家。中国名は郎世寧。ミラノに生まれ,1707年にイエズス会に入り,15年(康熙54),清代中国の都北京に到着。…

【清代美術】より

…すべてのモティーフは明確な輪郭をもって描き出され,あいまいな個所はまったくなく,すべて清新で知的な画面が要求された。イタリア人カスティリオーネ(中国名は郎世寧),ロシア人シクルプス(中国名は艾啓蒙(がいけいもう)。1708‐80)らは画院に奉職した西洋人で,文字どおり皇帝の手足として馬,珍禽異獣,戦争,皇帝后妃の容姿などを写して画院本来の使命を果たした。…

※「郎世寧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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