中国,北京市北西郊海淀付近にあった清朝の離宮,庭園で,円明・長春・万春3園の総称。万寿山,頤和(いわ)園,玉泉山,香山,暢春園とともに三山五園と称され,その最大規模を誇り,面積は約3.5km2。康煕帝が1709年(康煕48)に皇子胤禎(のちの雍正帝)に下賜した庭園に始まり,25年(雍正3)以降,宮廷の外朝,内寝に相当する建築群が増築され,庭園も拡張された。乾隆帝も庭園の増築をつづけ,51年(乾隆16)円明園の東に接して長春園,72年南東に接して綺春園(のち万春園と改称)がそれぞれ加えられた。嘉慶年間(1796-1820)の修理では揚州の最高級建具が用いられた。園内は湖池が大半を占め,江南地方の風景を模した水景庭園で,宮殿や祠廟が点々と配された。長春園北側にはカスティリオーネ,ブノア,アッティレら西欧宣教師によって,ロココ様式の西洋館が建てられ偉容を誇ったが,1860年(咸豊10)と1900年(光緒26)の各国軍侵略で破壊され,いまは廃虚のみがのこる。
執筆者:田中 淡
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中国、北京(ペキン)北西郊外にあった清(しん)代離宮の名園。北京北西郊外は山水の景勝の地として知られ、清の康煕(こうき)、乾隆(けんりゅう)ごろ離宮が次々に営まれたが、円明園もその一つで、雍世(ようせい)帝によって1725年に着工、なかでもベルサイユ宮殿に比すべき豪華なバロック式の洋風建築は、中国建築史上画期的なことであった。のち、その東に長春園、南東に綺春園(きしゅんえん)(のち万寿園と改称)がつくられ、これらを一括して三園あるいは円明園とよぶことが多い。これらは、江南の風光を再現した大小無数の池が園内の大部分を占め、清朝宮廷の豪奢(ごうしゃ)の限りを尽くしたものであったが、1860年第二次アヘン戦争の際、英仏軍により徹底的に破壊され廃墟(はいきょ)と化した。
[永井信一]
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北京西直門外の北西約10kmの位置にあった清代の離宮。1706年雍親王(のちの雍正(ようせい)帝)が創建し,乾隆(けんりゅう)帝が増改修し,さらに隣接して長春園と綺春園(きしゅんえん)(万春園)を加えた。なかには中国最初の西洋風の噴水や宮殿もつくられた。1860年英仏軍の略奪,放火にあって廃墟になった。
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…この種の苑囿としては,秦始皇帝が咸陽に造営した離宮にすでに人工的な築山をもった造園の例があり,前漢武帝の上林苑や太液池,隋煬帝(ようだい)の西苑,唐の長安にあった曲江,北宋の汴梁(べんりよう)(河南省開封)にあった金明池,元の大都の太液池などが歴史上著名。現存するものとしては,元の大都の太液池をうけついだ明・清時代の北京の西苑(三海)や清朝の北京北西郊に設けられた頤和(いわ)園,円明園などの三山五園,同じく河北省承徳(旧,熱河)の避暑山荘などがあり,いずれも広大な領域を占め,大規模な人工的造園や豪華な建築装飾を特色としている。【田中 淡】。…
…清代の北京にとって特記すべきは,皇城内の三海(北・中・南海)のほか,郊外に皇帝のための離宮や庭園がいくつも作られたことである。西山一帯は山水に恵まれ,遼・金時代からすでに離宮が存在したが,清では康熙帝のとき暢春(ちようしゆん)園,乾隆帝のとき円明・万春・長春の三園(併せて円明園と総称される),玉泉山静明園,香山静宜園,万寿山清漪(せいい)園の三山が作られた。なかでも円明園はもっとも広大壮麗で世界にその名を知られたが,1860年(咸豊10)英仏連合軍のために徹底的な破壊をこうむった。…
※「円明園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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