鄧艾(読み)とうがい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄧艾」の意味・わかりやすい解説

鄧艾
とうがい
(?―264)

中国、三国魏(ぎ)の武将。字(あざな)は士載(しさい)。義陽(ぎよう)郡棘陽(きょくよう)県(現河南(かなん)省南陽(なんよう)県の南東)の人。吃音(きつおん)であり、また貧しかったので、はじめは高い官職につけなかった。のち使者として都におもむき、司馬懿(しばい)にみいだされ、対呉(ご)政策として運河を開き、淮北(わいほく)、淮南(わいなん)で屯田(とんでん)と輸送を両立させる案を献策、実行された。また、武将としては、蜀(しょく)の姜維(きょうい)と戦って、しばしばこれを破った。このため、鍾会(しょうかい)とともに司馬昭(しばしょう)より蜀の討伐を命ぜられ、剣閣(けんかく)にこだわる鍾会を尻目に、山道を果敢に進み江由(こうゆう)県を攻め落とした。緜竹(めんちく)に派遣された蜀の諸葛瞻(しょかつせん)は、子の諸葛尚(しょかつしょう)とともに父祖の名に恥じない戦いをしたのち陣没した。成都(せいと)の劉禅(りゅうぜん)は、姜維がなお剣閣を死守しているにもかかわらず、諸葛瞻の敗北を聞いて降服した。成都を占領した鄧艾は、劉禅以下を手厚く待遇するとともに、続いて呉の討伐の準備を始めたが、その功績をねたんだ鍾会の讒言(ざんげん)により、謀反人とされて、命を落とした。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著『「三国志」軍師34選』(PHP文庫)』

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