鍾会(読み)しょうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鍾会」の意味・わかりやすい解説

鍾会
しょうかい
(225―264)

中国、三国魏(ぎ)の武将。字(あざな)は士季(しき)。潁川(えいせん)郡長社(ちょうしゃ)県(現河南(かなん)省長葛(ちょうかつ)県の北東)の人、魏の太傅(たいふ)である鍾繇(しょうよう)の末子。司馬師(しばし)の軍師として毌丘倹(かんきゅうけん)の討伐に活躍、司馬師が卒すると、全権を引き継いだ司馬昭(しばしょう)のもとで引き続き作戦を担当する。諸葛誕(しょかつたん)の乱の際には、喪中にもかかわらず、いち早く司馬昭のもとにかけつけ、軍師として反乱の鎮圧に活躍した。また、反司馬氏思想の弾圧につとめ、「竹林(ちくりん)の七賢(しちけん)」の一人で、曹室と婚姻関係をもつ嵆康(けいこう)を死刑に追い込んだ。のち蜀(しょく)を征討するが、姜維(きょうい)が立てこもる剣閣(けんかく)を落とせなかった。この間に成都(せいと)で劉禅(りゅうぜん)を降服させた鄧艾(とうがい)を、讒言(ざんげん)により失脚させ全軍を掌握した。遠征軍と旧蜀軍という巨大な軍隊を指揮下に置き、野心が芽生えた鍾会は、「失敗しても蜀を保持すれば、劉備(りゅうび)にはなることができる」と、旧蜀臣の姜維と結び魏に対して反乱を起こした。しかし、配下の胡烈(これつ)たちはこれに従わず、姜維もろとも鍾会を殺害した。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著『「三国志」軍師34選』(PHP文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鍾会の言及

【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より

…さらに意欲のあるものは,《孝経》と《論語》のつぎに経書の学習にすすむのが一般であった。たとえば魏の鍾会(しようかい)は母親から4歳で《孝経》,7歳で《論語》,8歳で《詩経》,10歳で《書経》,11歳で《易経》,12歳で《左伝》と《国語》,13歳で《周礼(しゆらい)》と《礼記》を教わり,15歳のときに太学に入学してからその他の書物を渉猟したという。
[近世以降]
 古い時代の児童教育についてはごくわずかのことが知られるにすぎないが,およそ宋代から清末にいたる期間のあらましはつぎのようであった。…

※「鍾会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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