司馬昭(読み)しばしょう

精選版 日本国語大辞典 「司馬昭」の意味・読み・例文・類語

しば‐しょう ‥セウ【司馬昭】

中国三国時代魏の政治家。懿(い)の子、師の弟。字(あざな)は子上。兄の死後大将軍になり、晉王に封ぜられて国政をもっぱらにした。武帝西晉)即位後、追尊して文帝となし、太祖文皇帝と称された。(二一一‐二六五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「司馬昭」の意味・わかりやすい解説

司馬昭
しばしょう
(211―265)

中国、三国魏(ぎ)の権臣。字(あざな)は子上(しじょう)。河内(かだい)郡温(おん)県(河南(かなん)省温県の南西)の人。諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))の北伐(ほくばつ)を防ぎ、正始(せいし)の政変で曹爽(そうそう)を打倒して、司馬氏の権力を確立した司馬懿(しばい)の子、毌丘倹(かんきゅうけん)の乱を平定した司馬師(しばし)の弟。兄の死後、権力を継承すると、司馬昭の専制に抵抗して魏を守ろうとした諸葛誕(しょかつたん)の乱を平定する。さらに専制を強めると、皇帝の曹髦(そうぼう)(高貴郷公)が武力で抵抗したため、これを弑殺(しさつ)、魏晋(ぎしん)革命を決定づけた。こうした魏の権力を奪う動きを儒教で粉飾したため、後世「竹林(ちくりん)の七賢(しちけん)」とよばれる阮籍(げんせき)や嵆康(けいこう)が老荘思想を尊重して、これに抵抗した。263年(景元(けいげん)4)に、鄧艾(とうがい)、鍾会(しょうかい)を派遣して蜀(しょく)を滅ぼし、それを機に五品(ごひん)官以上の官職をもつもの600余人を公(こう)―侯(こう)―伯(はく)―子(し)―男(だん)に封建する五等爵(ごとうしゃく)制を施行、唐(とう)まで続く貴族制を確立した。子の司馬炎(しばえん)は、魏を滅ぼして晋(しん)を建国し、280年(咸寧(かんねい)6)、呉(ご)を滅ぼして三国を統一する。『三国志演義』も、ほぼ史実どおりである。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』

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