姜維(読み)きょうい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「姜維」の意味・わかりやすい解説

姜維
きょうい
(202―264)

中国、三国蜀(しょく)の武将。字(あざな)は伯約(はくやく)。天水(てんすい)郡冀(き)県(甘粛(かんしゅく)省甘谷(かんこく)県)の人。もともとは魏(ぎ)の天水郡太守の馬遵(ばじゅん)に仕えていたが、228年、祁山(きざん)に進出した蜀の諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))に帰順した。諸葛亮は、「姜維の才能は李邵(りしょう)や馬良(ばりょう)も及ばない。涼州(りょうしゅう)の上士である」と高く評価し、北伐に従軍させ中監軍・征西(せいせい)将軍に抜擢(ばってき)した。諸葛亮が卒(しゅっ)すると、右(ゆう)監軍・輔漢(ほかん)将軍として諸軍を統率、238年には、大将軍の蒋琬(しょうえん)に随行して漢中(かんちゅう)に駐屯し、しばしば魏へ進攻した。蒋琬の死後は、大将軍の費禕(ひい)とともに、国政をも担い、隴西(ろうせい)・南安(なんあん)・金城(きんじょう)の諸郡に出兵して、魏の武将郭淮(かくわい)と戦った。姜維は、西方の風俗に習熟し、軍事の才能を自負しており、羌(きょう)族を味方につけて、隴(ろう)より西を魏から切り取ろうとした。しかし、国の疲弊を招き、恨みをかい、国政に飽きた劉禅(りゅうぜん)が宦官(かんがん)の黄皓(こうこう)を寵愛(ちょうあい)すると孤立した。蜀の滅亡時には鍾会(しょうかい)をそそのかし、蜀の復活を試みるが、鍾会の部下に殺害された。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著、三国志学会監修『三国志研究入門』(2007・日外アソシエーツ)』『于涛著、鈴木博訳『実録三国志』(2008・青土社)』『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』

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