朝日日本歴史人物事典 「鄭秉哲」の解説
鄭秉哲
生年:尚貞27.4.15(1695.5.27)
18世紀の琉球国の上級役人。久米村(対中国関係の専門集団,唐栄とも称した)出身者。琉球名では古波蔵親方とも称した。生涯に6回,清国へ留学生(官生)や進貢使節,漂流中国商人の送還などの目的で渡った。日本へは1度,尚敬39(1751)年に儀衛正(使節行列に際し,進行・路次楽を管轄する)として江戸上りを務めた。漢学に優れ,学校所の教師(講解師)や正史『球陽』(国初から尚敬王代ころまで),『中山世譜』などの編纂に携わった。久米村の要職である長史を同22年に,そして尚穆4(1755)年には総理唐栄司を務めた。それらの功績により三司官座敷の位を与えられた。
(豊見山和行)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報