酒井忠囿(読み)さかい ただその

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠囿」の解説

酒井忠囿 さかい-ただその

1670-1706 江戸時代前期-中期大名
寛文10年2月1日生まれ。酒井忠隆(ただたか)の長男貞享(じょうきょう)3年若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩主酒井家4代となる。元禄(げんろく)13年領内の「郷帳」「国絵図」を作成した。宝永3年9月8日死去。37歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む