近世柔術の一流派、流祖は関口弥六右衛門氏心(やろくえもんうじむね)(1598―1670)。紀州(和歌山)藩徳川家の御流儀として知られ、一名を新心(しんしん)流といい、「居合・太刀(たち)・柔(やわら)の三つにもとづきて、捕手の伝・心得の条々・軍中の伝(戦場利方(りかた))に至るまで数々相伝する」兵法で、のち居合の部分を独立させた支流がある(柔新心流など)。氏心が、紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)に招かれたのは1639年(寛永16)当時すでに41歳、受身の名人といわれ、高名な柔術家であったが、ゆえあって表向きの活躍を遠慮し、御伽衆(おとぎしゅう)として頼宣に仕えたと伝える。
3人の男子のうち二男万右衛門氏英(うじひで)(1643―1706)が、兄氏業(うじなり)にかわって指南役につき、その技術精妙をもって、人々から「柔聖」と仰がれたという。同流の教授体系は、この氏英の時代に整備されたとみられ、以後、万右衛門家(分家)が家職を継承したが、2代氏一(うじかず)(1672―1737)は1706年(宝永3)家督を継ぎ、藩主吉宗(よしむね)から250石を賜り、16年(享保1)吉宗が8代将軍となってからは、しばしば幕府に聘(へい)せられて、近習の者たちに柔術を教授し、このため関口流の名はいっそう天下に知られるに至った。紀州藩の稽古(けいこ)場では門人の場格を10階級に分け、通常、初学(しょがく)・表(おもて)のクラスではまずに、無手(むて)で相対するときの手続(てつづき)20本の勢法(せいほう)を教えて、体捌(たいさば)きの自由を覚えさせ、以下、堅め、車捕(しゃどり)、立合、組合、大小取、ほぐれ、自己(じこ)の誤(あやまり)、小具足(こぐそく)に至るまで100以上の形を、仕手・受方両人ずつ幾組も打ち並べ、200~300本ずつも稽古させたという。
[渡邉一郎]
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