酘豆村(読み)つつむら

日本歴史地名大系 「酘豆村」の解説

酘豆村
つつむら

中世よりみえ対馬の村。寛元三年(一二四五)平知宗は大宰府の命に従わない対馬在庁阿比留国信を討つために、国信の弟の時信や平戸の立石盛昌と謀り、長子の重尚を対馬に派遣、重尚は同四年一月一日に豆酘村に着き、金剛こんごう院に駐屯した。翌日州府に兵を進め、大日だいにち(西山寺)に陣を構え、時信の先導で国信の営館のあるけち(現美津島町)に進軍して交戦、州兵も国信に不服があったため討伐に成功した。国信は桟原さじきばらの西の丘に葬られ、蜂起した残党も敗れたという。鎮西奉行の藤原資能は知宗を「対州地頭職」に任じたが、知宗は同職を長子重尚に譲ったうえ、佐護さご郡をその弟の下野次郎に、佐須さす郡を右衛門三郎に、与良よら郡を越前五郎に、三根みね郡を甲斐六郎に任せたとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android