海東諸国紀(読み)かいとうしょこくき

精選版 日本国語大辞典 「海東諸国紀」の意味・読み・例文・類語

かいとうしょこくき【海東諸国紀】

  1. 外交関係資料書。一巻李氏朝鮮の成宗の命により申叔舟(しんしゅくしゅう)の編。一四七一年成立。朝鮮および日本壱岐、対馬、琉球国情、国交の歴史を記し、使者の応接を規定したもの。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「海東諸国紀」の解説

海東諸国紀
かいとうしよこくき

一冊 申叔舟著

成立 一四七一年

解説 一四七一年朝鮮議政府領議政の申叔舟が王命を受けて、朝鮮と通交している日本・琉球の国情とその使者の応接規定を編纂した書物。日朝関係史の基礎文献で、一五世紀の琉球王国の実情と朝鮮との外交関係を知るうえで重要である。伝本には東京大学史料編纂所蔵など四冊がある。内容は日本本国之図や琉球国之図などの絵図、日本国紀・琉球国紀・朝聘応接紀などからなり、末尾に琉球国などの補追がある。日本国西海道九州之図には薩南諸島と琉球諸島各島の所属が記され、吐喇列島の臥地島(現鹿児島県十島村の臥蛇島)には「分属日本琉球」と注記されている。琉球国之図には沖縄島を中心に奄美から先島までの島々が記されている。沖縄島は琉球国都(首里)と那覇の情報を中心に、国頭城(根謝銘グスクか)や伊麻奇時利城(今帰仁グスク)・賀通連城(勝連グスク)・中貝足城(中城グスク)・浦傍城(浦添グスク)・島尾城(南山グスクか)など各地の大型グスク名や、雲見泊(運天港)・大西崎(残波岬)などの地名が記載されている。この図は一四五三年に琉球国王尚金福の使者道安が朝鮮王に献上した「博多薩摩・琉球の相距つる地図」を朝鮮で木版印刷したものと考えられる(李朝実録)。なお元禄九年太宰府天満宮に奉納された琉球国図(県立博物館蔵)は、道安献上図を日本側で模写したものとみられる。琉球国紀には国王代序・国都・国俗・道路里数などが簡潔に記されているが、その内容は「高麗紀」や「李朝実録」に基づいていると考えられる。末尾の琉球国条は弘治一四年に琉球の国情について追記したもので、国王の葬礼殉死など興味深い記事が含まれている。

活字本 日本庶民生活史料集成二七・岩波文庫など


海東諸国紀
かいとうしよこくき

一巻 朝鮮李朝の申叔舟著

成立 一四七二年序

版本 東京大学史料編纂所など

解説 朝鮮李朝の成宗の命により作成された書。日本・琉球の歴史・地理風俗、朝鮮への使節派遣者の一覧、朝鮮での使節の接待規定などが記される。「日本国紀」「琉球国紀」「朝聘応接紀」からなり、図一〇枚(九図)巻首に納めるが、三浦の図は一四七四年に加えられており、ごくわずかの増補がみられる。

活字本 「岩波文庫」、「日本庶民生活史料集成」第二七巻


海東諸国紀
かいとうしよこくき

申叔舟著

成立 一四七一年

版本 東京大学史料編纂所・国立公文書館内閣文庫・韓国国史編纂委員会ほか

解説 朝鮮の議政府領議政申叔舟が王命を奉じて撰進した海東諸国(日本と琉球)についての書。海東諸国総図・日本本国の図・日本国西海道九州の図など九図と日本国紀・琉球国紀・朝聘応接紀からなる。版本のうち史料編纂所本は一冊、内閣文庫本は四冊からなる。

活字本 「日本庶民生活史料集成」二七、岩波文庫など


海東諸国紀
かいとうしよこくき

一冊 申叔舟著

成立 一四七一年

解説 日本国紀・琉球国紀、朝聘応接紀および対馬図・壱岐図など九図からなる。

活字本 日本庶民生活史料集成二七・岩波文庫など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「海東諸国紀」の意味・わかりやすい解説

海東諸国紀 (かいとうしょこくき)

朝鮮,李朝の申叔舟が成宗の命により1471年作成した書。活字,1巻本。日本・琉球の歴史・地理・風俗および西日本を中心とした使節派遣者の一覧を含む〈日本国紀〉〈琉球国紀〉と使節の通交規定を記した〈朝聘応接紀〉よりなる。図は10枚(9図)あり,74年に加えられた三浦(さんぽ)の図3枚はとくに史料的価値が高い。本書の作成された思想的基盤は朝鮮の華夷意識によるものと考えられるが,作成年代・典拠資料が明らかであり,当時施行されていた通交規定が載せられているなど史料としての信頼度は高い。朝鮮側は本書を通交上問題が生じたときに多く先例としており実務的役割をはたした。日本への流布の範囲も広く,松下見林の《異称日本伝》に引用されたのをはじめ,新井白石,対馬藩士の松浦霞沼らが朝鮮を考える場合の唯一の史料として重んじた。東京大学史料編纂所蔵のものが善本で,国書刊行会の復刻本がある。
執筆者:


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「海東諸国紀」の意味・わかりやすい解説

海東諸国紀
かいとうしょこくき

15世紀の朝鮮と日本の外交関係を記した書物。1巻。1471年(成宗2・文明3)成立。朝鮮王朝(李氏(りし)朝鮮)の成宗(せいそう)の命によって、領議政の要職にあった申叔舟(しんしゅくしゅう)が撰修(せんしゅう)した。海東諸国とは、日本の本州、九州、壱岐(いき)、対馬(つしま)、琉球(りゅうきゅう)の総称であり、それらの国々の国情や朝鮮との通交の歴史、そして、日本人応接の規定などを詳細に記してある。朝鮮王朝の対外関係の基本的文献として長い間重視、尊重された。なお、所載の琉球関係記事と琉球地図は、15世紀の琉球を知るうえで貴重な史料である。刊本には国書刊行会(1975)のものがある。

[黒田日出男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「海東諸国紀」の解説

海東諸国紀
かいとうしょこくき

室町中期,朝鮮の海東諸国(日本・琉球)との交渉史
1巻。1471年,朝鮮の申叔舟 (しんしゆくしゆう) が朝鮮国王成宗の命をうけて著した。日朝関係を知る基本的史料。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の海東諸国紀の言及

【壱岐島】より

… のち島内には肥前の松浦党諸士がしだいに割拠するようになる。1471年朝鮮で成立した《海東諸国紀》には,当時の壱岐が〈7の郷,620町6段の水田,13の人居陸里,14の海浦がある。島の東西は半日ほど,南北は1日ほどの行程である。…

※「海東諸国紀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android