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重仁親王 しげひとしんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

重仁親王 しげひとしんのう

1140-1162 平安時代後期,崇徳(すとく)天皇の第1皇子。
保延(ほうえん)6年9月2日生まれ。母は兵衛佐局(ひょうえのすけのつぼね)。永治(えいじ)元年親王となり,のち三品(さんぼん)をさずけられる。久寿2年(1155)近衛天皇が死去したとき皇位をつぐ立場にあったが,後白河天皇の即位によりはばまれる。保元(ほうげん)の乱ののち,仁和寺で出家。応保2年1月28日死去。23歳。法名は空性(くうしょう)。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

重仁親王

没年:応保2.1.28(1162.2.13)
生年:保延6.9.2(1140.10.14)
平安後期,崇徳天皇の第1皇子。母は法印信縁の娘,兵衛佐。永治1(1141)年親王宣下。久安6(1150)年元服して三品に叙せられた。当時最も順当な皇位継承者と目されていたが,養母美福門院をはじめとする反崇徳上皇派によって即位を阻まれ,近衛天皇の死後,後白河天皇が践祚するにおよんで,崇徳上皇と天皇の対立が深刻化,保元の乱(1156)の決定的要因となった。乱後は仁和寺に入り,寛暁大僧正の許で仏道に励んだが,間もなく足の病が重くなり入滅。法名は元性。『今鏡』に「さとくめでたくおはし」たとある。

(木村真美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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