朝日日本歴史人物事典 「重仁親王」の解説
重仁親王
生年:保延6.9.2(1140.10.14)
平安後期,崇徳天皇の第1皇子。母は法印信縁の娘,兵衛佐。永治1(1141)年親王宣下。久安6(1150)年元服して三品に叙せられた。当時最も順当な皇位継承者と目されていたが,養母美福門院をはじめとする反崇徳上皇派によって即位を阻まれ,近衛天皇の死後,後白河天皇が践祚するにおよんで,崇徳上皇と天皇の対立が深刻化,保元の乱(1156)の決定的要因となった。乱後は仁和寺に入り,寛暁大僧正の許で仏道に励んだが,間もなく足の病が重くなり入滅。法名は元性。『今鏡』に「さとくめでたくおはし」たとある。
(木村真美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報