アルフォンソ2世(その他表記)Alfonso Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 「アルフォンソ2世」の意味・わかりやすい解説

アルフォンソ[2世]
Alfonso Ⅱ
生没年:759ころ-842

アストゥリアス王。在位791-842年。〈純潔王〉と呼ばれた。カール大帝との同盟関係の下にアストゥリアス王国の保全を図る一方,794年オビエド遷都を断行カロリング・ルネサンスの影響下に同王のオビエド宮廷には新ゴート主義理念が復活し,西ゴート王国政治,教会機構の再建が企てられる。同時にアストゥリアス王国は西ゴート王国の継承国家と意識され,ここに国土回復戦争の理念的支柱の一つが形づくられることになる。
アストゥリアス
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アルフォンソ[2世]
Alfonso Ⅱ
生没年:1152-96

アラゴン連合王国初代の王。在位1162-96年。その支配ピレネーを越えてプロバンスを含む南フランス一帯に及んだ。国王としての才覚に恵まれ,版図を拡大,自らの威信高揚,さらにイスラム教徒の手にあったバレアレス諸島征服を企てたり,後世サルデーニャ島領有につながる機会を機敏にとらえるなど,後のアラゴン連合王国の地中海進出に先鞭をつけた。また文才にもたけ,折から盛んなトルバドゥール文学に深く親しんだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルフォンソ2世」の意味・わかりやすい解説

アルフォンソ2世[アラゴン王]
アルフォンソにせい[アラゴンおう]
Alfonso II

[生]1152
[没]1196
アラゴン王 (在位 1162~96) 。バルセロナ伯。父ラモン・ベレンゲル4世のバルセロナ伯を 1162年に,母ペトロニリャのアラゴン王位を 64年に継承。すでに父母結婚によってバルセロナと合併していたアラゴンは,彼の統治下で地中海に勢力を伸長した。

アルフォンソ2世[エステ家]
アルフォンソにせい[エステけ]
Alfonso II, d'Este

[生]1533.11.28. フェララ
[没]1597.10.27. フェララ
フェララ,モデナ,レッジオ公。統治期はエステ家の繁栄から衰退への移行期にあたる。妻を3度替えたが,そのいずれからも公国を相続するための子供が生れず,彼の死後,フェララを教皇クレメンス7世に奪われた。

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367日誕生日大事典 「アルフォンソ2世」の解説

アルフォンソ2世

生年月日:1533年11月28日
フェララ,モデナ,レッジオの公
1597年没

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世界大百科事典(旧版)内のアルフォンソ2世の言及

【サンチアゴ・デ・コンポステラ】より

…伝承によれば,9世紀初頭,司教テオドミーロが明るい星に導かれてヤコブの墓を発見し,これがしだいに人々の信仰を集めていった。そして同じ頃かつての西ゴート王国の復興を目指すアストゥリアス王アルフォンソ2世が,ヤコブの墓とされるものの上にこれを守る教会の建設を命じた。この信仰を支えるのは,ヤコブがイベリアに伝道し,エルサレムでの殉教後遺体が弟子たちの手でイベリアに運ばれて葬られたという伝説だが,これは文献の裏づけに乏しく史実とは認め難い。…

※「アルフォンソ2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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