モザイク(読み)もざいく(英語表記)mosaic 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モザイク」の意味・わかりやすい解説

モザイク(美術)
もざいく
mosaic 英語
mosaïque フランス語
Mosaik ドイツ語

大理石やガラスなどの小さな断片を使って建築の壁面や床を装飾する美術技法、およびこのような技法で制作された作品。技法的には広い意味での象眼(ぞうがん)の一種であり、表現形式からみれば絵画(壁画)に属するということもできる。最古の例としては、紀元前三千年紀初頭のシュメールの都市ウルクの遺跡で発見された建築装飾(ベルリン国立美術館)がある。これは三角形や菱(ひし)形、ジグザグなどをモチーフとしたもので、円錐(えんすい)形に成型したテラコッタを使って制作されていた。円錐の底面に相当する部分を赤や黒で彩色したものや素地(きじ)のままのものを用い、壁面に円錐の先端を差し込んで固定する技法によって装飾模様が構成されていた。しかし、このタイルモザイクの一種である技法はその後まもなく衰退した。

 モザイクが隆盛し、材料技法においても表現内容においても美術的に高度な発展を示したのは、ヘレニズム期のギリシアとそれを継承したローマ、そしてビザンティンである。ギリシアにおいては古典後期の紀元前4世紀前半にさかのぼる作例がマケドニアのオリントスで発見されている。またヘレニズム期ギリシアの代表的な作例としては、マケドニアのペラ(前300ころ)とデロス島(前2世紀)で発見された舗床(ほしょう)モザイクが知られている。オリントスとペラの例では小石が使われていて、モザイク技法史からみればまだ初期の段階に属していることがわかる。しかし、デロス島の作品では、さいころ型に切った石片が使われるようになっている。小石を使ったモザイクは前1世紀まで存続するが、さいころ型石片を使う技法はすでに前3世紀から始まっていたようである。ギリシアではアバキスコイabakiskoiとよばれ、ローマではテッセラtesserae, tessellaeとよばれたこのさいころ型石片が使われるようになって、モザイクの技法は飛躍的に発展し始める。このテッセラを使った技法はオプス・テッセラートゥムopus tessellatumとよばれ、舗床モザイク技法としてローマに継承されていった。そして、この技法が広まるとともに、ヘレニズム末期からローマ時代にかけてさらに変化のある次のような材料技法が開発されていった。オプス・ウェルミクラートゥムopus vermiculatum オプス・テッセラートゥムで使用されるものよりも小さく切ったテッセラが用いられる。曲面や細密な表現に適し、材料も大理石や硬石ばかりではなく、ガラスや陶器も利用され、その形も正方形に限らず、長方形、三角形、菱形などさまざまな形に切ったものが使われた。おもにエンブレーマemblema(舗床モザイクの中心部の特別な意味をもつ主題を表した部分)を制作する技法。オプス・セクティレopus sectile さまざまな色大理石を用い、表現する形態にあわせて形を整えた石板を組み合わせて制作する技法。壁面装飾にも舗床にも利用される。

 モザイクの技法はこのようにほとんどローマ時代に確立し、建築の発展と相まって数多くの美しいモザイクの傑作が生まれた。ポンペイの「牧羊神の家」の舗床モザイク『アレクサンダー・モザイク』(前100ころ?・ナポリ国立考古美術館)、ヘルクラネウムの「ネプチューンアンフィトリテの家」の壁面モザイク(紀元後1世紀)、チボリ近くのハドリアヌスの別荘で発見された『野獣と闘うケンタウロス』(2世紀前半・ベルリン国立美術館)などが、ローマ時代のモザイクを代表する作例であろう。

 ローマ時代においても、顔料で色づけした練りガラスや、金銀の箔(はく)をガラスに封入したものがモザイクの材料として制作され、テッセラとして使用されていた。しかし、ガラスの効果を最大限に生かしたモザイク技法が発達したのは、北イタリアのラベンナに代表されるビザンティン建築においてであり、ビザンティンの諸聖堂では円蓋(えんがい)やアプス、身廊側壁などが、鮮やかな金色や濃青色の地を背景とした宗教的図像で覆い尽くされた。ギリシア各地やコンスタンティノポリスイスタンブール)、イタリアではラベンナのほかにローマやベネチアに中世のモザイクの作例をみることができる。また、ビザンティンでは携帯用イコンがモザイクで制作されることもあった。しかし、アルプス以北ではモザイクはほとんど顧みられることがなかった。

 イタリア・ルネサンスでは、ラファエッロやティツィアーノがモザイクのための原寸大下絵(カルトン)を制作した例もあるが、絵画技法の模倣に陥り、モザイク技法固有の表現力を失い衰退してしまった。

[長谷川三郎]


モザイク(遺伝)
もざいく
mosaic

生物の体の部分が場所により二つ以上の遺伝的に異なる形質が入り混じった状態になる現象、またはその個体をいう。生物の体の中にこのような遺伝的に異なった部分ができる原因としては、発生の過程において、核内または核外遺伝子の突然変異や染色体の組換え、染色体の構造や数の変化がおこり、このような変化をおこした細胞の子孫が、ほかの変化をおこさない細胞の子孫と共存して発育し、体の各部分をつくりあげることによって生ずる。カイコやショウジョウバエなどの昆虫では環境の影響によって、モザイク個体が自然に生ずることもあるが、X線や化学物質の処理によって人為的に高い頻度でつくりだすこともできる。このようなモザイクは、生物の発生における各組織や器官の形成の仕組みを調べるためによく利用されている。

 モザイクのなかでも、性染色体の一部の欠失や卵細胞の重複受精など、1個体の中で雌雄の両細胞が共存する性モザイク(雌雄モザイクgynandromorph)は、ミツバチ、ショウジョウバエ、カイコなどの昆虫類のほか、ニワトリなどの鳥類においても数多くみられる。

 植物では、トマトとホオズキの接木(つぎき)によって生じた葉や花や果実に両方の組織が入り混じったものや、キンギョソウやオシロイバナにみられる斑(ふ)入りの現象などは、キメラchimeraとよばれるが、モザイクと似た現象である。

[黒田行昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モザイク」の意味・わかりやすい解説

モザイク
mosaic

種々の色の石やガラス,金属,貝殻,タイルなどの細片を接合して模様や絵画を形成したもの。古代中央アメリカでは早くからモザイクの技法が発達し,マヤ文化やアステカ族の遺品には,トルコ玉をはじめ宝石を多く用いた儀礼用具や,面,楯,兜,メダル,耳輪,動物像などの表面をモザイクで装飾したものが多くみられる。古代オリエントや古典期のギリシアでも床,壁,天井などの装飾用として使われたが,特に発達したのはヘレニズム時代以降で,ポンペイ出土の床モザイクや,いわゆる『アレクサンドロスのモザイク』,ラベンナのサン・ビターレ聖堂の6世紀中葉の円蓋モザイクなどが代表例として名高い。その他,11~12世紀のモンレアーレ,ベネチアにもすぐれた大規模なモザイクがみられる。その後あまり使われなくなったが,19世紀末にステンドグラスとともに復活し,現代ではメキシコの建築外壁用のモザイクをはじめとして,公共建築,宗教建築の装飾に盛んに取入れられている。

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