デジタル大辞泉 「モザイク」の意味・読み・例文・類語
モザイク(mosaic)
2 1個の生物体に、一つあるいはそれ以上の遺伝的に異なる形質が体の部分を変えて現れ、共存する現象。昆虫に多くみられる。同一個体に雄性・雌性の部分が混在する雌雄モザイクなど。
3 映像や写真・画像の一部または全部をます目で区切り、消したい部分の区画をぼかして見えなくすること。また、その処理。「
翻訳|mosaic
種々の色の鉱物などの細片をすきまなく敷き並べて,壁画や床を装飾する芸術の技法。おもに古代から中世にかけて,地中海地方を中心に発達した。細片(テッセラtessera)は普通数mmから2~3cm角で,大理石や貴石,色ガラス,金銀箔をはったガラスなどが使われ,しっくいの地に埋め込まれる。モザイクの特長は,耐久性に富み,輝かしい色彩が半永久的に得られることで,建築内部の大規模な装飾に最も効果的に使われた。なお〈モザイク〉という語は,ギリシア神話の9人の女神ムーサイMousaiに由来し,ラテン語ではオプス・ムシウムopus musivumと呼ばれた。
メソポタミア最南部,ウルクの神殿(前4千年紀後半)には,柱などにテラコッタの小片による幾何学文のモザイク装飾が施されている。またエジプトでは,ピラミッドの墓室の壁に色タイルを並べる装飾が施されることがあった(サッカラ,ジェセル王の階段ピラミッド,前27世紀末ころ)。モザイクの技法による具象的な絵画が描かれるようになるのは,ヘレニズム時代と考えられる。マケドニア北方のペラ出土の舗床モザイク(前4世紀末)では,白・黒・茶色など数色の小石により,狩猟場面や神話主題などが表されている。イタリアのポンペイからは多くのモザイク画が発見されているが,なかでも有名な《イッソスの戦》のモザイク壁画(前2世紀後半)は,ヘレニズム時代のフレスコのコピーといわれ,細緻でイリュージョニスティックな表現が見られる。古代末期には,宮殿や邸宅の大きな床面を飾る舗床モザイクが,北アフリカを含め地中海岸全域で流行した。題材は,同時代のさまざまな情景,狩猟場面,幾何学文様の枠にはめ込まれた人物像などで,多色を用いた絵画のほか,黒と白だけを使う様式も見られる。有名なものに,シチリア島のピアッツァ・アルメリーナの別荘のモザイク(3世紀末~4世紀)がある。
313年のキリスト教公認後,大規模な教会堂が相次いで建設されると,堂内をモザイク壁画で装飾することが広く行われた。バシリカ式教会堂ではおもにアプスや凱旋門型アーチ壁面,クリアストーリー(身廊の壁)に,また洗礼堂など集中式建築ではドーム天井や周囲の壁にモザイクがほどこされ,神学的なプログラムに従って,旧約・新約聖書の説話場面,キリストや聖人,預言者の像,象徴的な図像などが展開された。現存する4~5世紀の作品には,ローマ市ではサンタ・コスタンツァ廟(4世紀前半),サンタ・プデンツィアーナ教会(401-417),サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の洗礼堂(461-468),サンタ・マリア・マッジョーレ教会(432-440)など,またその他の地方ではラベンナのガラ・プラキディア廟(424-450),テッサロニキのアギオス・ゲオルギオス(5世紀初め)などのモザイクがある。
ビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世時代の作に,ラベンナに残るサン・ビターレ教会(525-547。同帝と皇妃テオドラを表すモザイクはとくに有名),サンタポリナーレ・ヌオーボ教会(6世紀初め),ラベンナ近郊のサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会(533-549)などがある。モザイクに囲まれた室内は金や鮮やかな色彩が光をうけて微妙にきらめき,神秘的な小宇宙が形成された。イコノクラスム後の,ビザンティン中期の大作には,デルフォイ近郊のオシオス・ルカス修道院(1020ころ),キオス島のネア・モニNéa Moní修道院(11世紀中ごろ),アテネ近郊のダフニDafní修道院(1100ころ)などがある。描写にすぐれ,円熟したビザンティン様式を示すものが多い。イスタンブールのハギア・ソフィアも,もとは各時代のモザイクで飾られていたと思われるが,今に残るのは数人の皇帝・皇妃の肖像(11~12世紀)や〈デエシス〉(13世紀後半)など一部分にすぎない。またこの時代,ベネチアでは,サン・マルコ大聖堂(モザイクは12世紀以降。ナルテックスのドームの〈創世記〉場面はとくに有名)やトルチェロ島の大聖堂(12世紀後半)のモザイクが,ビザンティン帝国から派遣された工人によって手がけられた。またシチリア島でも,シチリア国王に招かれたビザンティンの作家によりパレルモのラ・マルトラーナ教会(1143)や宮殿カペラ・パラティーナ(1140ころ),またチェファルーCefalùの大聖堂(1148ころ),モンレアーレMonrealeの大聖堂(12世紀末)にビザンティン様式のモザイクが作られた。ビザンティン帝国の経済が衰退するにつれて,莫大な費用のかかるモザイクはしだいに衰えを見せた。ビザンティン後期の作では,イスタンブールのカハリエ・ジャーミー(コーラ修道院。1315-20)やテッサロニキのアギイ・アポストリ教会(1312-15)に例がある。この時代には,1mm以下のごく微細なテッセラを用いたモザイク・イコンなども見られた。
→ビザンティン美術
カロリング朝期では,アーヘンの宮廷礼拝堂(現,大聖堂)にモザイクが施されていたといわれるが現存しない。ジェルミニー・デ・プレの礼拝堂の〈契約の櫃(ひつ)〉(《出エジプト記》25章)を表すモザイク(799-818)は,この時代のほぼ唯一の遺例である(ラベンナからの影響が色濃い)。この後アルプス以北では,建築装飾は主として壁画によったため,モザイクはほとんど行われなかった。イタリアでは,ビザンティン工人によるもののほか,イタリア人による作例もいくつか見られた。ロマネスク時代にローマに建てられたサン・クレメンテ教会(1128)とサンタ・マリア・イン・トラステーベレ教会(1140)のモザイクは,いずれも初期キリスト教美術の様式的影響が強く見られる。また,フィレンツェの洗礼堂のドーム天井(直径25m)には,旧約場面,イエス伝などを表す13世紀後半のモザイクがある。ルネサンス期以後,モザイクは小工芸品の装飾や複製名画などに使われる程度となり,独自の芸術的発展はとだえた。
イスラム文化圏のオリエントやイベリア半島では,モスクの内外壁やドーム天井をモザイクで飾ることが,とくに中世初期に流行した。エルサレムの〈岩のドーム〉(688ころ起工),ダマスクスのウマイヤ・モスク(706-714・715),コルドバのメスキータ(760ころ)では,華麗で精妙な幾何学文や植物文が見られる。しかしその後は,モザイクに代わって色タイルによる壁面装飾が広まった。
→タイル
執筆者:浅野 和生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大理石やガラスなどの小さな断片を使って建築の壁面や床を装飾する美術技法、およびこのような技法で制作された作品。技法的には広い意味での象眼(ぞうがん)の一種であり、表現形式からみれば絵画(壁画)に属するということもできる。最古の例としては、紀元前三千年紀初頭のシュメールの都市ウルクの遺跡で発見された建築装飾(ベルリン国立美術館)がある。これは三角形や菱(ひし)形、ジグザグなどをモチーフとしたもので、円錐(えんすい)形に成型したテラコッタを使って制作されていた。円錐の底面に相当する部分を赤や黒で彩色したものや素地(きじ)のままのものを用い、壁面に円錐の先端を差し込んで固定する技法によって装飾模様が構成されていた。しかし、このタイル・モザイクの一種である技法はその後まもなく衰退した。
モザイクが隆盛し、材料技法においても表現内容においても美術的に高度な発展を示したのは、ヘレニズム期のギリシアとそれを継承したローマ、そしてビザンティンである。ギリシアにおいては古典後期の紀元前4世紀前半にさかのぼる作例がマケドニアのオリントスで発見されている。またヘレニズム期ギリシアの代表的な作例としては、マケドニアのペラ(前300ころ)とデロス島(前2世紀)で発見された舗床(ほしょう)モザイクが知られている。オリントスとペラの例では小石が使われていて、モザイク技法史からみればまだ初期の段階に属していることがわかる。しかし、デロス島の作品では、さいころ型に切った石片が使われるようになっている。小石を使ったモザイクは前1世紀まで存続するが、さいころ型石片を使う技法はすでに前3世紀から始まっていたようである。ギリシアではアバキスコイabakiskoiとよばれ、ローマではテッセラtesserae, tessellaeとよばれたこのさいころ型石片が使われるようになって、モザイクの技法は飛躍的に発展し始める。このテッセラを使った技法はオプス・テッセラートゥムopus tessellatumとよばれ、舗床モザイク技法としてローマに継承されていった。そして、この技法が広まるとともに、ヘレニズム末期からローマ時代にかけてさらに変化のある次のような材料技法が開発されていった。オプス・ウェルミクラートゥムopus vermiculatum オプス・テッセラートゥムで使用されるものよりも小さく切ったテッセラが用いられる。曲面や細密な表現に適し、材料も大理石や硬石ばかりではなく、ガラスや陶器も利用され、その形も正方形に限らず、長方形、三角形、菱形などさまざまな形に切ったものが使われた。おもにエンブレーマemblema(舗床モザイクの中心部の特別な意味をもつ主題を表した部分)を制作する技法。オプス・セクティレopus sectile さまざまな色大理石を用い、表現する形態にあわせて形を整えた石板を組み合わせて制作する技法。壁面装飾にも舗床にも利用される。
モザイクの技法はこのようにほとんどローマ時代に確立し、建築の発展と相まって数多くの美しいモザイクの傑作が生まれた。ポンペイの「牧羊神の家」の舗床モザイク『アレクサンダー・モザイク』(前100ころ?・ナポリ国立考古美術館)、ヘルクラネウムの「ネプチューンとアンフィトリテの家」の壁面モザイク(紀元後1世紀)、チボリ近くのハドリアヌスの別荘で発見された『野獣と闘うケンタウロス』(2世紀前半・ベルリン国立美術館)などが、ローマ時代のモザイクを代表する作例であろう。
ローマ時代においても、顔料で色づけした練りガラスや、金銀の箔(はく)をガラスに封入したものがモザイクの材料として制作され、テッセラとして使用されていた。しかし、ガラスの効果を最大限に生かしたモザイク技法が発達したのは、北イタリアのラベンナに代表されるビザンティン建築においてであり、ビザンティンの諸聖堂では円蓋(えんがい)やアプス、身廊側壁などが、鮮やかな金色や濃青色の地を背景とした宗教的図像で覆い尽くされた。ギリシア各地やコンスタンティノポリス(イスタンブール)、イタリアではラベンナのほかにローマやベネチアに中世のモザイクの作例をみることができる。また、ビザンティンでは携帯用イコンがモザイクで制作されることもあった。しかし、アルプス以北ではモザイクはほとんど顧みられることがなかった。
イタリア・ルネサンスでは、ラファエッロやティツィアーノがモザイクのための原寸大下絵(カルトン)を制作した例もあるが、絵画技法の模倣に陥り、モザイク技法固有の表現力を失い衰退してしまった。
[長谷川三郎]
生物の体の部分が場所により二つ以上の遺伝的に異なる形質が入り混じった状態になる現象、またはその個体をいう。生物の体の中にこのような遺伝的に異なった部分ができる原因としては、発生の過程において、核内または核外遺伝子の突然変異や染色体の組換え、染色体の構造や数の変化がおこり、このような変化をおこした細胞の子孫が、ほかの変化をおこさない細胞の子孫と共存して発育し、体の各部分をつくりあげることによって生ずる。カイコやショウジョウバエなどの昆虫では環境の影響によって、モザイク個体が自然に生ずることもあるが、X線や化学物質の処理によって人為的に高い頻度でつくりだすこともできる。このようなモザイクは、生物の発生における各組織や器官の形成の仕組みを調べるためによく利用されている。
モザイクのなかでも、性染色体の一部の欠失や卵細胞の重複受精など、1個体の中で雌雄の両細胞が共存する性モザイク(雌雄モザイクgynandromorph)は、ミツバチ、ショウジョウバエ、カイコなどの昆虫類のほか、ニワトリなどの鳥類においても数多くみられる。
植物では、トマトとホオズキの接木(つぎき)によって生じた葉や花や果実に両方の組織が入り混じったものや、キンギョソウやオシロイバナにみられる斑(ふ)入りの現象などは、キメラchimeraとよばれるが、モザイクと似た現象である。
[黒田行昭]
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… なお,一個体の中である細胞が突然変異を起こすことによって,二つしか親をもたない個体ででも,二つ以上の異なった遺伝資質をもった細胞からなるものができることがある。これはモザイクmosaicと呼んで,キメラとは区別し,とくに性形質にかかわるものを雌雄モザイクと呼んでいる。【岡田 節人】【阪本 寧男】。…
… なお,一個体の中である細胞が突然変異を起こすことによって,二つしか親をもたない個体ででも,二つ以上の異なった遺伝資質をもった細胞からなるものができることがある。これはモザイクmosaicと呼んで,キメラとは区別し,とくに性形質にかかわるものを雌雄モザイクと呼んでいる。【岡田 節人】【阪本 寧男】。…
…ダウン症候群(21トリソミー),18トリソミーなどがある。なお,異数体ではないが,受精後第1分裂に際し染色体の不分離が起こると,同一個体内に2種類以上の遺伝子型の異なる細胞群が混在することになるが,これをモザイクmosaicという。ダウン症候群でみられることがある。…
…植物ウイルスに侵された植物において最も普通にみられる病気で,葉に部分的な退緑部または黄色部が現れ,濃緑色部と混じり合ってモザイク模様の病徴を示す。しばしば株全体の萎縮や糸葉など葉の奇形を伴う。チューリップのように花の斑入りが現れるものもある。温度・光・栄養条件の変化で病徴の消失することをマスキングという。退緑部では柵状組織や葉緑体の発達が悪い。タバコ,キュウリ,ダイコンなどの作物,ラン,キク,カーネーションなどの園芸植物で多数発生し,収量減や品質の低下をもたらす。…
…第1は,神の栄光の賛美である。この傾向は,4世紀にそれまでの迫害者に対して勝利を得た時代のキリスト教会,それにひきつづいて宮廷権力と結合しつつ発展したビザンティン様式の聖堂の美術(いずれもモザイク美術),および西ヨーロッパのロマネスク時代(とくに中南部フランスの教会の彫刻)に著しい。第2は,図像美術による民衆の教育である。…
…東洋では紙をはって絵をかき,あるいは木を格天井(ごうてんじよう)に組んで格間(ごうま)の紙面に彩画を描いた。 天井や床を木の板ではることは洋の東西をとわず広く行われてきたが,立式生活の国では床をモザイク,タイル,塼(せん),または石でおおうことも行われた。大理石モザイクはローマ時代に発達し,幾何学文様のほかに一つのまとまった絵を床に表現した。…
… これに対し中世美術においては,光はきわめて重要な要素ではあるものの,そのあり方は古代および近世と著しく異なる。中世美術の中枢を占める教会堂建築では,古代に比べて内部空間が格段の重要性を得たのに伴い,金地とガラス片の輝かしいモザイク,戸外の白色光を色とりどりの光に変えるステンド・グラスが,聖性を象徴する超現実的な光でこれを満たすようになった。一方,中世絵画には,古代と近世の写実的光を基準にすれば,光は存在せず色彩あるのみということになるが,中世には独自の光があることに注目しなければならない。…
…
【建築】
4世紀以後,東方キリスト教社会の成熟とともに,シリア,パレスティナ,小アジア,バルカンなどの各地で多元的な源流をもつ建築が急速に発展し,やがてコンスタンティノープルを中心にビザンティン建築が成熟し,宮廷の力を背景に6世紀にその最盛期を迎える。宮殿その他の世俗建築ももちろん発達したわけで,コンスタンティノープルの城壁,地下貯水場,床モザイクなどによって当時の建築の規模とすぐれた技術を推察することができる。しかし建築の中心は宗教建築にあった。…
… 西洋では多くの場合,室内で靴を脱ぐ習慣がないため,屋外の地面から建築物の床にまで歩み入る際,本質的に床張りの室内と戸外との差はない。もっとも原始的な床が土であることは洋の東西を問わないが,ギリシアの神殿では大理石の切石が敷きつめられて床をつくっており,ローマ時代の建物では天然コンクリート造の床をモザイクで飾ることが行われた。宗教建築や記念建造物においては切石を敷く方法とモザイクによる装飾とが,床をつくり上げる二つの技法として現在に至るまで生きつづけている。…
…切石積みや煉瓦積みのように仮枠自身がそのまま仕上げ材として使われることもあるが,多くはその上にスタッコを塗り,浮彫や彩色が施された。大理石張付けやモザイクも,上等の建築にはよく見られる仕上げであった。ローマ人はコンクリートを使ってドームやボールトなどを造ることによって,パンテオン(128ころ。…
※「モザイク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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