野中新村(読み)のなかしんむら

日本歴史地名大系 「野中新村」の解説

野中新村
のなかしんむら

[現在地名]加治川村野中

今泉いまいずみ川右岸にあり、北は塚田新つかだしん村。江戸時代初期は村上藩領で、川尻組に属した(「村上領組々村名書上写」高橋哲也氏蔵)。延宝九年(一六八一)頃の高反別免割家数人数帳(寛政一二年写、新発田市史資料)には高六一石三斗余・反別四町八反余、家数八・人数二四とあり、元禄郷帳には横岡よこおか村枝郷と記される。宝永七年(一七一〇)幕府領、享保九年(一七二四)三日市藩領となり、同年の郷村高辻帳(伊藤喜太郎氏蔵)に高五二石五斗余とある。

野中新村
のなかしんむら

[現在地名]富山市野中新

常願寺川西側平地にあり、東は野中村。村名は野中村の出村に由来するという。明暦二年(一六五六)の村御印留と寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三〇石、免四ツ(三箇国高物成帳)。天保一一年(一八四〇)の打銀高三六石、免四ツ(「高免帳」杉木家文書)。所属組は針原横越はりわらよこごし村と同じ。灌漑には常願寺川水系針原用水を利用(富山市史)

野中新村
のなかしんむら

[現在地名]三国町野中のなか

野中村の南に隣接する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「新郷(高五三八七・一九二石)に含まれた。正保郷帳には「新村」と記され、田方五〇石余・畠方二三石。貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領となるが、文政元年(一八一八)から同三年までの一時期福井藩領にもどっている。

文政元年の御巡見様御用留(三国町郷土資料館保管小島家文書)によれば、家数はわずかに二軒(高持一・水呑一)で、野中村の三軒、今井いまい(現坂井町)の一軒が当村に入作をしており、庄屋は野中村の弥右衛門であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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