野崎城跡(読み)のざきじようあと

日本歴史地名大系 「野崎城跡」の解説

野崎城跡
のざきじようあと

生駒山地の西麓、飯盛いいもり城跡の南西方向、慈眼じげん寺北東方に位置する。「太平記」巻二六(四条縄手合戦事)にみえる「南の尾崎」に構築されたものとみられ、生駒山地から北西に突出する支稜を一〇メートル以上の深さに掘切り、山頂(約一一四メートル)を中心に本丸を構え、西と北に出郭を置き、斜面の緩急を利用して四つの砦を設けている。地理的には東高野街道を眼下に望み、奈良から北河内へ向かう街道をも抑える要衝にある。中世は深野ふこの池の湖岸線が北条ほうじよう寺川てらがわ辺りを通っていたので、当城を守れば京都方面の軍勢南河内に入ることは不可能であった。四条縄手合戦の頃、城郭があったかどうか不明だが、合戦に関する「醍醐地蔵院日記」貞和四年(一三四八)正月二日条に、北朝方高師直と南朝勢の動静を記して「執事立八幡、懸于河内路、進発東条城云々、但令逗留野崎辺云々」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む