日本歴史地名大系 「野津原宿」の解説 野津原宿のつはるしゆく 大分県:大分郡野津原町野津原村野津原宿[現在地名]野津原町野津原肥後街道の宿駅で、肥後熊本藩主加藤清正が設置したとされる。中世には七瀬(ななせ)川上流側の竹内(たけのうち)村から同川右岸に渡り、入蔵(いりくら)村を通って下流側の廻洲(めぐす)村に至る道が使われていたと考えられる(歴史の道調査報告書)。西・北・東の三方を七瀬川にコの字状に囲まれた内側に設けられた。町筋は北東から南西に通る一筋町で、本(ほん)町(古町)を中心に西は寺(てら)町まで続き、西端近くで新(しん)町が南に延び、南端は西に曲って七瀬川上流の渡しに出る。本町の東方はやや登り坂があって恵良(えら)村に至る。本町と寺町は慶長六年(一六〇一)から寛永九年(一六三二)の熊本藩加藤氏時代に成立したようで、新町は同藩細川氏時代の慶安二年(一六四九)に町割が行われた(野津原手永略鑑)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by