野田力三(読み)ノダ リキゾウ

20世紀日本人名事典 「野田力三」の解説

野田 力三
ノダ リキゾウ

大正・昭和期の実業家 野田合板社長。



生年
明治38(1905)年2月24日

没年
昭和61(1986)年6月13日

出生地
静岡県庵原郡富士川町中之郷

旧姓(旧名)
浦田

学歴〔年〕
静岡商〔大正11年〕卒

主な受賞名〔年〕
紺綬褒章〔昭和23年〕,静岡県知事表彰〔昭和33年〕,藍綬褒章〔昭和41年〕,富士川町名誉町民〔昭和45年〕,勲四等瑞宝章〔昭和50年〕,発明大賞発明功労賞〔昭和55年〕

経歴
静岡県富士川町の旧家・蒲田家に生まれ、幼少の時に同町の野田材木店を営む叔父・野田幸作の養子となって製材業を継ぐ。大正12年野田製材所に入社、昭和9年合板製造業に転じ、13年株式会社に改組し取締役となる。17年野田合板と改称、22年養父・幸作の死去に伴い社長に就任。業界の不況、戦争、工場の全焼などがあったが、戦後、ついに輸出実績全国1位の合板会社に成長させた。また建材産業工業化機械化に努め、地元の産業の活性化にも貢献した。日本南洋材協議会本部副会長、日本繊維板工業会副会長、静岡県合板工業組合顧問、富士川町商工会初代会長、富士川町体育協会初代会長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野田力三」の解説

野田力三 のだ-りきぞう

1905-1986 大正-昭和時代の実業家。
明治38年2月24日生まれ。叔父の養子となり,静岡県富士川町で製材業をつぐ。昭和9年合板製造に転じ,17年野田合板を創業。戦後,輸出実績全国1位の会社に成長させ,また建材産業の工業化,機械化につくした。昭和61年6月13日死去。81歳。静岡商業卒。旧姓は浦田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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