日本歴史地名大系 「金古宿」の解説
金古宿
かねこしゆく
[現在地名]群馬町金古
金古村の東部を南北に通る三国街道の宿駅。文政一〇年(一八二七)の農間渡世并質屋書上帳(神保文書)によると金古村の旗本松田領の家数一一七のうち、四八軒が農間に商人ならびに諸職人・旅籠屋を営んでいた。問屋も三軒あった。助郷村は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
金古村の東部を南北に通る三国街道の宿駅。文政一〇年(一八二七)の農間渡世并質屋書上帳(神保文書)によると金古村の旗本松田領の家数一一七のうち、四八軒が農間に商人ならびに諸職人・旅籠屋を営んでいた。問屋も三軒あった。助郷村は
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