金子弥平(読み)カネコ ヤヘイ

20世紀日本人名事典 「金子弥平」の解説

金子 弥平
カネコ ヤヘイ

明治期の東亜開拓者



生年
安政1年12月(1855年)

没年
大正13(1924)年2月17日

出身地
陸奥国(岩手県)

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
南部藩の出身で、慶応義塾に学ぶ。明治8年森有礼駐清公使に従って清国へ渡る。11年帰国して中国語学校を設立。のち品川弥二郎知遇を得て外務省に入り、25年品川国民協会を組織すると下野して同協会のために尽力した。清国・営国で日本雑貨店を営む傍ら満州の物産流通事業にも携わった。日露戦争が起こると事業を棄てて安東県に移り、鴨緑江の木材事業や高梁酒製造に従事し、同県市政にも関与晩年は京都に隠棲して中国革命の志士などを援助した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「金子弥平」の解説

金子弥平

没年:大正13.2.17(1924)
生年:安政1.12(1854)
明治大正期の満州(中国東北部)開拓者。南部藩(岩手県)出身で慶応義塾に学ぶ。北京公使の随員として北京に渡り,帰国後東京で中国語学校を創設した。その後品川弥二郎の知遇を得て外務省に入ったが,品川が国民協会を組織したとき(1892),辞して同協会のため尽力した。そして再び渡清して営口に日本雑貨店を開き,また満州物産流通の事業に従事,日露開戦(1904)に伴い鴨緑江の樹木事業や高粱酒製造に成功,さらに安東県市政にも参画した。晩年は京都で隠棲して中国革命家と交流があった。

(波多野勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金子弥平」の解説

金子弥平 かねこ-やへい

1855*-1924 明治-大正時代実業家
安政元年12月生まれ。慶応義塾にまなぶ。北京駐在公使の随員として北京にわたる。明治11年帰国,東京で中国語学校をひらき,13年興亜会幹事となる。のち外務省,国民協会をへて清(中国)にわたり現地物産の売買に従事。日露戦争時には鴨緑江の樹木事業を推進。大正13年2月17日死去。71歳。陸奥(むつ)盛岡出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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