金山要害跡(読み)かねやまようがいあと

日本歴史地名大系 「金山要害跡」の解説

金山要害跡
かねやまようがいあと

[現在地名]丸森町金山 表小路

雉子尾きじお川の右岸、字まちの集落より東南の丘陵にある中世から近世にかけての山城。丘陵は標高一一七・六メートル、東西約三〇〇メートル、南北約八〇〇メートルで、当城はこの北部の館山たてやまを中心に築かれ、南部の黒森くろもり八幡はちまんとの間にも空堀と思われる遺構がある。永禄八年(一五六五)相馬家臣小斎こさい城主の藤橋胤泰の築城とするが(奥相茶話記)、元弘三年(一三三三)には伊具小太郎未彦が城主であり(「北畠武鑑」福島県史料集成)、のち長禄二年(一四五八)には藤原姓黒木氏が居城したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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