朝日日本歴史人物事典 「金沢実政」の解説
金沢実政
生年:建長1(1249)
鎌倉中期の武将。父は金沢(北条)実時。上総介。文永10(1273)年前後に兄・顕時の豊前国守護補任で守護代として下向したようだが,建治1(1275)年に異国征討の意図で九州に下向した。弘安6(1283)年長門国守護,正応1(1288)年以降は長門・周防両国守護。永仁4(1296)年に鎮西探題となる。以後,鎮西探題は前代の蒙古防備から蒙古襲来後の鎮西訴訟を中心にすえ,鎮西評定衆・鎮西引付衆が整備され鎮西の所務沙汰の裁判権を管轄する機関として確定した。父・実時が実政に与えた置文は,得宗周辺の人々の意識を知る家訓として著名である。正安3(1301)年に出家。所領には豊前国規矩郡(北九州市)が知られる。<参考文献>関靖『金沢文庫の研究』,相田二郎『蒙古襲来の研究』,佐藤進一『鎌倉幕府訴訟制度の研究』『鎌倉幕府守護制度の研究』,川添昭二「鎮西探題北条実政について」(『金沢文庫研究』56・57・58号),村井章介「蒙古襲来と鎮西探題の成立」(『アジアのなかの中世日本』)
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報