金沢実政(読み)かねさわさねまさ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金沢実政」の意味・わかりやすい解説

金沢実政(かねさわさねまさ)
かねさわさねまさ
(1249―1302)

鎌倉時代の鎮西探題(ちんぜいたんだい)。金沢実時(さねとき)の子。上総介(かずさのすけ)。従(じゅ)五位上。1279年(弘安2)豊前(ぶぜん)守護代となり、89年(正応2)ごろ長門(ながと)探題に就任し、周防(すおう)・長門両国守護となる。96年(永仁4)九州に転じ実質上の初代鎮西探題として、九州の訴訟制度を整備し、九州管内の民事裁判にあたった。なお、実政以後、肥前守護は鎮西探題の兼帯するところとなった。北条氏の九州支配の展開は実政の鎮西探題就任を重要な画期としている。

[上田純一]


金沢実政(かなざわさねまさ)
かなざわさねまさ

金沢実政

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金沢実政」の解説

金沢実政 かねざわ-さねまさ

1249-1302 鎌倉時代の武将
建長元年生まれ。金沢(北条)実時の子。建治(けんじ)元年蒙古襲来にそなえて鎮西(ちんぜい)(九州)に派遣され,のち長門(ながと),周防(すおう)の守護となる。永仁(えいにん)4年鎮西探題に就任し,肥前守護も兼任。乾元(けんげん)元年12月7日死去。54歳。通称越後(えちご)六郎

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