金道(読み)きんみち

朝日日本歴史人物事典 「金道」の解説

金道

没年:寛永6.12.11(1630.1.24)
生年:生年不詳
桃山・江戸初期の京の刀工美濃(岐阜県)の関鍛冶兼道の子で,文禄年中(1592~96)京に出て,西洞院夷川で作刀した。文禄年中に伊賀守を受領し,作品にみる年紀は天正9(1581)年が最も古く,日光東照宮に奉納した太刀の寛永3(1626)年が下る。弟に来金道,丹波守吉道,越中守正俊がいて三品派をなしたが,特に金道家は幕末まで10代を数える。2代目以降は日本鍛冶惣匠を名乗り,諸国の刀工の官名受領について朝廷との仲立ちを行い,絶大な権威を持った。作風は南北朝時代の美濃の志津をねらった沸の強い湾れ刃を焼くが,特徴的なのは湾れこんで先が尖って返る帽子(切先の刃文)で,三品帽子と呼ばれ,一派見所となっている。

(原田一敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金道」の解説

金道 きんみち

⇒かねみち

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の金道の言及

【山城物】より

…埋忠家は元来,刀の磨上げ,拵(こしらえ)・金具の製作を家業としていたが,明寿は作刀にも長じ,それまでの古刀期にはなかった濃厚な彫物を施した装飾豊かな作風を展開し,新刀の祖といわれている。これとは別に,地方からの移住者も多く,一条堀川には日向出身の国広が,西洞院には美濃出身の伊賀守金道,丹波守吉道,越中守正俊兄弟ら三品派がいて,それぞれ一派を開いた。国広一門は二十数名の刀工を擁し,初期新刀最大の派を形成し,金道の後代は日本鍛冶惣匠を名乗り,刀鍛冶の受領銘授与に関して朝廷との仲介役を務め,権力をもった。…

※「金道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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