日本歴史地名大系 「釧路集治監跡」の解説 釧路集治監跡くしろしゆうちかんあと 北海道:釧路支庁標茶町熊牛村釧路集治監跡[現在地名]川上郡標茶町常盤明治一八年(一八八五)から同三四年まで熊牛(くまうし)村標茶の釧路川右岸に置かれた、北海道で三番目の集治監。所轄は明治一八年一一月の設置当初内務省であったが、同一九年北海道庁、同二八年内務省、同二九年拓殖務省、同三〇年内務省、同三三年司法省などと変わり、名称も開庁時の釧路集治監から明治二〇年釧路監獄署、同二三年七月釧路集治監と変転し、同二四年七月からは北海道集治監釧路分監とよばれた(状況報文・網走刑務所沿革誌)。囚人は開庁当初は分監の建築工事、次いでアトサヌプリ硫黄山(現弟子屈町)での採掘、標茶製錬所へ至る釧路鉄道の敷設、同所への運搬・雑役などに従事し、鉱山使役が停止されたのちは標茶と厚岸(あつけし)(現厚岸町)や網走などを結ぶ道路開削、釧路川の疎通、電話線架設などの労働に従事した(「標茶町史」「状況報文」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by