鈴木忠五(読み)スズキ チュウゴ

20世紀日本人名事典 「鈴木忠五」の解説

鈴木 忠五
スズキ チュウゴ

昭和期の弁護士



生年
明治34(1901)年12月13日

没年
平成5(1993)年2月27日

出生地
新潟県小出町

別名
筆名=玉木 次郎(タマキ ジロウ)

学歴〔年〕
中央大学法律科〔大正12年〕卒

経歴
大正15年高文司法科に合格。昭和14年長野地裁判事、横浜・東京各地裁判事、東京控訴院判事、東京地裁形事第2部裁判長を経て、32年退官、弁護士を開業した。この間、三鷹事件で一審裁判長を務めた他、内田信也の鉄道疑獄事件、田中武雄の経済統制違反事件、伊能繁次郎の汚職事件などを担当。弁護士としては丸正再審事件を手がけた。著書に「幼児追憶記」「少年時の思い出」「弁護士として三十年」、翻訳にサー・ウォルター・スコット「ミドロジアンの心臓」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木忠五」の解説

鈴木忠五 すずき-ちゅうご

1901-1993 昭和-平成時代の裁判官,弁護士。
明治34年12月13日生まれ。昭和3年判事となる。25年東京地裁裁判長として三鷹(みたか)事件を審理,検察側の共同謀議説を「空中楼閣」とした。32年弁護士となり,正木ひろしとともに静岡県の強盗殺人事件(丸正(まるしょう)事件)の再審にむけ尽力した。平成5年2月27日死去。91歳。新潟県出身。中央大卒。著作に「一裁判官の回想」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鈴木忠五」の解説

鈴木 忠五 (すずき ちゅうご)

生年月日:1901年12月13日
昭和時代の弁護士
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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