鈴木翠軒(読み)すずきすいけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木翠軒」の意味・わかりやすい解説

鈴木翠軒
すずきすいけん
(1889―1976)

書家。愛知県渥美(あつみ)郡伊良湖(いらご)村(現田原(たはら)市)生まれ。名は春視(はるみ)、翠軒はその号。愛知県第一師範学校を卒業して1919年(大正8)上京、丹羽海鶴(にわかいかく)に師事し、比田井天来(ひだいてんらい)の知遇も得て、二松(にしょう)学舎漢学を学んだ。泰東書道院結成に参画し理事審査員となり、また国定教科書揮毫(きごう)にも従事。第二次世界大戦後は日展第1回審査員に就任以来、日展を軸に活躍した。日本芸術院会員(1960)、文化功労者(1968)。王羲之(おうぎし)、空海、良寛(りょうかん)らの書に傾倒し、淡墨を駆使した独自の奔放自在な書風を樹立した。

[古谷 稔]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木翠軒」の解説

鈴木翠軒 すずき-すいけん

1889-1976 大正-昭和時代の書家。
明治22年1月5日生まれ。丹羽海鶴(にわ-かいかく)に師事。習字教科書を揮毫(きごう),書道教育に影響をあたえた。昭和32年芸術院賞。日展審査員,芸術院会員。43年文化功労者。昭和51年9月26日死去。87歳。愛知県出身。二松学舎専門学校卒。旧姓長尾本名は春視(はるみ)。作品に「禅牀夢美人」。

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