鈴木誠作(読み)スズキ セイサク

20世紀日本人名事典 「鈴木誠作」の解説

鈴木 誠作
スズキ セイサク

明治・大正期の実業家



生年
慶応2年2月6日(1866年)

没年
昭和5(1930)年3月1日

出生地
出羽米沢(山形県)

学歴〔年〕
東京帝国大学政治学科〔明治24年〕卒

経歴
満州モンゴルシベリア視察し、帰国後、下北開発に着目。明治43年大湊開港期成同盟会を組織し、政府に大湊開港請願書と大湊鉄道速成請願書を併願した。大正7年大湊興業を設立、専務に就任。昭和2年大湊冷蔵庫を創立大湊港本州と北海道の中継港として繁栄させ、下北産業経済の発展に寄与。また福井県敦賀とウラジオストク間の定期航路開設にも尽力した。南満州鉄道が開設されると嘱託となり、粛親王家の顧問に就任。張作霖、袁世凱、孫文らと親交し、日中問題の調整に努めた。晩年は東南アジア各地を視察、アジア民族大同団結を唱えた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木誠作」の解説

鈴木誠作 すずき-せいさく

1866-1930 明治-大正時代の国家主義者。
慶応2年2月6日生まれ。満州(中国東北部),モンゴル,シベリアを視察し,敦賀(つるが)-ウラジオストク間定期航路開設に尽力。南満州鉄道の嘱託,粛(しゅく)親王善耆(ぜんき)の顧問。東南アジア各地も視察し,アジア民族大同団結を提唱。昭和5年3月1日死去。65歳。出羽(でわ)米沢(山形県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android