銀閣(読み)ギンカク

旺文社日本史事典 三訂版 「銀閣」の解説

銀閣
ぎんかく

室町中期,8代将軍足利義政が京都東山に造った山荘内の建物
山荘は義政の死後寺院とし,慈照寺となった。銀閣はこの慈照寺の観音殿をいい,1489年の完成。仏殿書院造の住宅が結合した建築。寺内には義政の持仏堂である東求堂 (とうぐどう) もある。仏間同仁斎 (どうじんさい) と呼ばれる書院などからなり,その庭園とともに東山文化趣向をよく表している。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の銀閣の言及

【慈照寺】より

…京都市左京区にある臨済宗相国寺派の寺。通称銀閣寺,正式には東山慈照禅寺。1490年(延徳2),足利義政の菩提を弔うため,如意嶽のふもとに義政が営んだ東山殿(ひがしやまどの)(東山山荘)を禅寺に改めて開創された。…

【室町時代美術】より


【後期】

[東山文化]
 義政が晩年の隠遁生活のために造営した東山山荘(現在の慈照寺)は,幕府の権威の下降という状況のなかで,義満以来の足利将軍の貴族趣味を受け継ぎ,それをいっそう耽美的なものに仕上げる場でもあった。現存の観音殿(銀閣,1489)は,金閣を先例とし,西芳寺の舎利殿をも参考に設けられたものである。だが,北山殿の主屋であった寝殿がもはや建てられなかったことは,建築の様式が寝殿造から書院造へと移行する過程を示すものとされる。…

※「銀閣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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