書院造(読み)しょいんづくり

精選版 日本国語大辞典 「書院造」の意味・読み・例文・類語

しょいん‐づくり ショヰン‥【書院造】

〘名〙 室町中期に起こり、桃山時代に完成した武家住宅建築様式平安時代寝殿造りが変化発展したもの。建物の内部を数室に分け、室内には畳を敷きつめ、明障子(あかりしょうじ)、襖(ふすま)などを用い、表座敷は上段の間とし、床、棚、付書院を備え、出入口として玄関を設ける。江戸時代を経て、現今の一般の日本住宅様式の基礎となった。〔家屋雑考(1842)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「書院造」の意味・読み・例文・類語

しょいん‐づくり〔シヨヰン‐〕【書院造(り)】

室町時代に始まり桃山時代に完成した武家住宅の様式。基本として座敷に、床の間違い棚つけ書院帳台構えを設備するもの。銀閣寺慈照寺)の足利義政の書斎であった東求堂同仁斎は、ほぼその形式が整った現存最古の例。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「書院造」の意味・わかりやすい解説

書院造 (しょいんづくり)

日本の古典的住宅形式の一つで,近世の武家を中心とする住宅の基本的形式をいう。平安時代の貴族の住宅形式であった寝殿造を母胎とし,中世における生活様式の変化のなかで,日常の生活機能を充足するために変容と改良が加えられた。室町時代初期ごろ,座敷飾の諸要素(押板(おしいた),棚,付(つけ)書院)が出そろい,同時代中期の応仁の乱前後の時期に盛行した会所(かいしよ)座敷の飾りに,押板,棚,付書院を組み合わせて装置し,置物を飾る風習が成立した。この座敷飾は中世末までに会所の枠をこえて住宅の主座敷を飾る方式として定着した。同じ時期に住宅屋内の機能別専用空間化が進行し,間仕切建具の発達によって屋内を諸室に細分し,各室に畳を敷きつめるなどの一連の変化が生じた。足利義政が応仁の乱後に経営した東山殿の常御殿や会所の屋内諸座敷の構成は,これらの一連の住宅形式の新傾向を採用したものであった。慈照寺(銀閣寺)の東求堂は東山殿の遺構の一つであり,その屋内北東隅にある書院の同仁斎は四畳半の畳を敷きつめた小室で,北面に一間の付書院と間半の違棚をつくりつけていて,室内外の形式と意匠に書院造の諸特徴をそなえ,書院造最古の遺構とされる。

 近世初頭の慶長・元和年間(1596-1624)には武家大名の邸宅が各地で造立された。大規模な殿舎群は表向きと奥向きに大別され,表向きの広間,対面所,御座間と,奥向きの御上(奥方御殿)の主要建物は,ひとしく発達した書院造形式のものであった。それらの屋内諸室は床(とこ),棚,付書院,納戸構(なんどがまえ)の座敷飾を装置した座敷(上段間につくる場合が多い)を上座とし,二の間,三の間などの下座,納戸などを付属した構成をもち,四周に広縁,入側縁をともなった。これらの諸室の間仕切には襖障子をたて,鴨居(かもい)の上は欄間または小壁につくる。室内は畳を敷きつめ,上座は一段高く上段につくって下座と区別した。天井は上座を折上(おりあげ)小組格天井(ごうてんじよう)または格天井とし,下座の小組格天井または棹縁天井(猿頰(さるぼお)天井,平縁天井)と仕上げを別にした。壁は土壁の素肌を露出しないで張付壁に仕立て,小壁は古くは白土塗りとしたが,のちに張付壁に仕立てた。張付壁,襖障子,格天井には金箔地に濃彩の絵が描かれ,欄間には彫刻を彫り彩色をほどこし,長押(なげし)の釘隠(くぎかくし)をはじめ諸所に飾金具を打ち,諸座敷は華麗な色彩と光で豪華によそおわれた。外回りの建具は引違障子(舞良戸(まいらど)と明障子(あかりしようじ)の併用または腰高障子)をたて,また雨戸が発明されて外縁を内縁に転化する工夫が加えられた。このような大規模の書院造遺構は二条城二の丸殿舎,西本願寺表書院に典型的作例を見いだせる。

 江戸時代の明暦3年(1657)の大火後,幕府は建築の規模,構造,意匠を制限する禁令を出し,経費の節約,奢侈(しやし)の抑制を図り,封建的身分秩序を住宅にも及ぼして厳しく取り締まった。すなわち書院造は武士以上の封建的支配階級の住宅の基本的形式として格付けされ,上層の町人や農民の一部をのぞいて庶民住居への普及を制限した。書院は本来は禅寺の用語で,禅僧の住房のうちの居間兼書斎の呼称として始まったが,座敷飾の成立以後,座敷飾をそなえた座敷あるいは建物をひろく書院と呼ぶ慣行を生んだ。明暦大火以降,大規模住宅では大書院,小書院,居間書院の呼称が普及し,書院は建物の性格をこえて書院造建物の普通名詞になり,大小,黒白の別,あるいは居間の語を冠して,性格の別を表現するようになった。このような段階に入って,座敷飾をそなえた座敷,あるいはその座敷を含む建物の住居形式を書院造とみなす考え方が定着したといえる。明治維新以後,封建的身分秩序の枠がはずされ,家作制限が解除されて和風住宅の基本形式として書院造はしだいに広く普及した。また,江戸時代には書院造の格調の高い形式表現への反動として,その枠を破り,手法上の自由と簡素化を意図した数寄屋造が成立した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「書院造」の意味・わかりやすい解説

書院造【しょいんづくり】

室町末〜桃山時代に完成した武家住宅の形式で,今日の住宅形式にもなごりをとどめている。寝殿造に比し,非常に複雑な構成をもつ。内部空間は,接客部分,家族の生活部分,台所など使用人の生活部分などに区分される。おもな部屋の内部には,座敷飾として床(とこ),棚,付書院を設け,襖(ふすま)には絵を描いた。屋敷の周囲には家臣の住む長屋や土塀(どべい)を築き,正面(東)に御成門と平棟(ひらむね)門を配する。御成門は接客用の広間につながる。代表的遺構は園城(おんじょう)寺の勧学院客殿および光浄院客殿,二条城二の丸殿舎など。また,書院造の反動として,簡素化を意図した数寄屋造が江戸時代に成立した。
→関連項目安土桃山時代入側掛物京都御所車寄玄関慈照寺書院障壁画違棚長押東山文化武家造舞良戸

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「書院造」の意味・わかりやすい解説

書院造
しょいんづくり

近世初期に完成した和風住宅様式。平安時代に公家(くげ)の住宅様式であった寝殿造が、武家の台頭によって武家住宅にも取り入れられ、時代が進むにつれて変化して、室町時代末から桃山時代にかけて書院造として大成した。

 足利義満(あしかがよしみつ)が1378年(天授4・永和4)に造営した彼の住宅である花御所室町殿は、寝殿が公的な行事を行う場所で、二棟廊(ふたむねろう)、中門廊、中門があって、将軍家も大臣家の伝統的住居の形態を踏襲している。そして遊興など社交的な会合のために会所(かいしょ)が別に設けられた。やがて代々の将軍家では会所内を飾るようになり、付(つけ)書院や違い棚が造り付けられ、そこには文具や食籠(じきろう)、茶具などが置かれ、また、押板(おしいた)がつけられて画幅、花瓶、香炉などが飾られるようになった。押板、違棚、付書院に飾られる置物は唐絵(からえ)、唐物(からもの)が珍重された。こうして、足利義政(よしまさ)のころからは座敷飾りが定着した。そして桃山時代になって武将の邸宅にも応用され、近世武家大名の邸宅では建物の規模が大きくなるとともに、建物内の座敷飾りも床(とこ)、棚、書院、帳台構(ちょうだいがまえ)と発展して豪華になる。初期の座敷飾りとしては慈照寺(銀閣寺)東求堂(とうぐどう)の同仁斎(どうじんさい)の付書院や違い棚が有名である。

 桃山時代の工匠伝書である『匠明(しょうめい)』によれば、書院造の標準的な大名邸宅の建物配置は、御成門(おなりもん)、広間、能舞台、御殿、書院、茶室からなる接客部分と、棟門(むねかど)、玄関、遠侍(とおざむらい)、式台、対面所、御寝間(ぎょしんのま)、書院からなる居住部分に分かれて配置された。このほか台所・局(つぼね)・御上(おかみ)方の奥向きの部分があり、敷地周囲には長大な長屋門が巡っていた。このうち広間は主殿ともよばれ、その平面をみると、上段のある座敷と次の間の前面には広縁と寝殿造の中門廊の名残(なごり)の中門がつき、上段には書院、大床(おおとこ)、違い棚があり、上段脇(わき)に納戸(なんど)が配されている。このような平面に類似する建物には園城寺(おんじょうじ)光浄院客殿、同勧学院客殿がある。居住部分の建物の配置に類似するものには、二条城二の丸御殿がある。

 書院造による主室の座敷飾りの一つである帳台構は納戸構とよばれる。もともと民家の寝室の構えを豪華にしたもので、武家住宅では武者隠しとしても用いられた。

 書院造の座敷飾りは社寺の客殿にも取り入れられ、江戸時代中期からは農家や町家の客室にも及んだ。座敷も主室だけでなく、次の間にも床を設けるようになり、盛んとなる。座敷の配置も主室、次の間、三の間をかぎ形に並べる鍵(かぎ)座敷も出現する。襖(ふすま)にも墨絵あるいは金碧画(きんぺきが)を描いて華麗にし、襖の上には種々の欄間(らんま)を設けて趣向を凝らすようになった。書院造は江戸時代を通じて和風住宅の基本的な座敷飾りとして床、棚、書院を後世に伝えた。

[工藤圭章]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「書院造」の意味・わかりやすい解説

書院造
しょいんづくり

近世における上流階級の住宅様式で,寝殿造から発展して桃山時代に様式的な完成を見た。門を入ると広間 (あるいは主殿) があり,この奥に主人の内向の接客空間である対面所,居間および寝室である書院,御寝所があり,さらに奥に夫人の居室である御上 (おうえ) がある。これらの接客空間,居住空間をつないで,台所などのサービス空間が設けられる。各部分では三ノ間,二ノ間,一ノ間が鉤手に並ぶのが特徴で,一ノ間の主室には床,棚,付け書院,帳台構えが設けられ,座敷飾が定型化している。壁は張付壁で襖絵が描かれ,豪華なものでは欄間に彫刻がなされ,天井にも彩色を施し,各所に飾金具を打った。柱は角柱で畳は敷きつめられ,障子,襖,舞良戸,雨戸が用いられる。一ノ間には原則として他の部分より框1本分高い上段が設けられた。桃山時代初期には寝殿造の中門廊の退化した中門が入口であったが,後期には玄関が造られる。明暦3 (1657) 年の江戸の大火までは,特に武家諸侯の邸宅は豪壮をきわめたが,大火後の倹約令により襖絵や彫刻が禁止され,今日みる和風住宅の簡素な室内意匠が確立した。なおこの頃から接客部は広間から書院に変り,主室に寝室の名残りである納戸がなくなって,帳台構えが廃され,1つの建物が1つの機能に対応する簡明なものとなった。しかし接客空間,居住空間,サービス空間の3つから住宅平面が構成されることは同じで,これは今日の和風住宅へも続いている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「書院造」の解説

書院造
しょいんづくり

室町後期~安土桃山時代に成立した武家住宅の形式。対面儀礼を行う建物で,書院(広間・対面所ともいう)を中心に構成されるのでこの名がある。出入口になる玄関・遠侍(とおさぶらい),常の居所となる御座の間などが付属する。古代の寝殿造から発展したが,構造的には角柱を用い,機能に応じた小室をいくつもつくるなど,寝殿造と異なる。また対面のときの主人の座を荘厳化するために主室を上段の間とし,その背後,左右に床・棚・付書院・帳台構を設けるのも意匠上の大きな特色。主室の構成を簡略にしたのが座敷とよばれる部屋で,近世の社会秩序を表現する空間として,その後民家などにもとりいれられていく。最も古い例は足利義政の書院同仁斎(どうじんさい)とされ,二条城二の丸御殿,西本願寺書院などの大規模な遺構もある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「書院造」の解説

書院造
しょいんづくり

室町中期におこった住宅の一様式
安土桃山時代に完成し江戸時代に普及。書院とは元来書物を見るために縁側に張り出し,前に明障子 (あかりしようじ) を立てた小室。玄関・襖障子により仕切った多くの部屋に畳をしき,座敷飾として付書院・床・棚を設ける。今日の一般住宅の源流をなす。代表的遺構に銀閣寺東求 (とうぐ) 堂同仁斎,二条城二の丸御殿,西本願寺白書院など。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の書院造の言及

【安土桃山時代美術】より

…安土城は82年の明智光秀の反乱によって焼失したが,秀吉はその後継者としてただちにいっそう大規模な大坂城を建造した。以後秀吉は在世中に聚楽第,淀城,名護屋城,伏見城と相次いで築城を行い,それぞれの城内には贅を尽くした書院造の殿舎があった。また秀吉が母の大政所のために建てた大徳寺内の天瑞寺も,寄進者の好みを反映して,禅宗の方丈としてはそれまでにない規模と内部装飾を持つものだった。…

【住居】より

…(5)柱はすべて大面取(だいめんとり)の角柱となり,外回りの建具は舞良戸2枚と明障子1枚の組合せとなり,蔀戸はあまり使われなくなる。以上の変化の結果,武家の住居は書院造と呼ばれる様式を完成させるのであるが,その時期は15世紀末から16世紀後半ころであったと考えられる。書院造
[庶民の住居]
 鎌倉時代の庶民住居も資料が多くなく,具体的な像を描くことはできないが,絵巻物に描かれた町屋(町家)を見ると,桁行が2~3間,梁間2間ぐらいの大きさで,屋根は板葺き,壁は網代(あじろ)を使い,板扉の入口に突上窓(つきあげまど)を備えており,平安時代の町屋とあまり変わらない。…

【茶道】より

…ことに《太平記》の伝えるところでは,佐々木高氏(道誉)は茶,花,香を組み合わせた風流の会に中国製の美術・工芸品を並べ華美を尽くしている。 唐物を中心とする喫茶の方式は室町時代に入ると,〈書院造〉の完成によって武家儀礼の一部に定着した。すなわち,ばさら大名たちにもてはやされた唐物はますます珍重され,足利義教より足利義政にいたる室町時代中期には足利幕府によって多数の唐物名物が集められ,のちに〈東山御物〉と呼ばれるコレクションが生まれた。…

【床の間】より

…床板の上には香炉,花瓶,燭台からなる三具足(みつぐそく)を置き,床の間の両隣には書院と違棚(ちがいだな)を設けるのが正式である。このような書院造の床の間に対して,茶室や数寄屋にも書画を飾る床の間が設けられるが,この場合は形式はかなり自由に扱われ,樹皮のついた床柱や形の変わった床柱が使われ,内部を壁で塗りまわした室床(むろどこ)や洞床(ほらどこ),落掛から床の上部だけを釣った釣床(つりどこ),入込みにならず壁面の上部に軸掛けの幕板を張っただけの織部床(おりべどこ)など,多様な形式のものがある。江戸時代は庶民の住宅では床の間を作ることを禁じられていたが,18世紀の中ごろ以降になると,多くの家で座敷に数寄屋系の床の間を設けるようになる。…

【室町時代美術】より

…この唐物荘厳は,室町時代の美術の性格をつくりあげる上で大きな役割を果たしている。唐物を飾るための調度である押板(おしいた)や棚,出文机(だしふづくえ)は,のちに建物の主室の意匠として固定され,それが近世の書院造の特色となる。また,唐物は模倣され国産化された。…

※「書院造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android